2015年辺りから、徐々に、ケーブルテレビや、CS放送で、実験的に、「4K放送」が始まりました。
どちらかというと、今回書くような内容は、「論文」のようなものです。
本放送開始の方は、けっこうややこしくて、まず、国の規格が、本放送として継続して今後放送されていく規格ですが、NHKは、もともと、「8K放送」を開発していて、「4K放送」規格というものは、そもそも、放送などの想定がされていませんでした。
「4K放送」規格というのは、もともとは、「ハイビジョンやデジタル時代になってから、大画面の映画館で使われていた規格」の事で、理由は、デジタル映像は、引き伸ばしていくと、どんどん画素が荒くなるという欠点があって、一般家庭向けの大画面テレビの40インチ位までならば、画質の品質を保てるのですが、「ハイビジョン規格を、映画館サイズのスクリーンまで拡大すると、ガザガザになってしまって、とても見れたものではない汚い画質となってしまった」のです。
それで、デジタル時代になった当時の映画館の規格として、「4K」という規格が、存在していました。
もう1つの問題点としては、現行のハイビジョン規格から、いきなり、「8K」規格までにするには、技術が飛躍し過ぎていて、そもそも、放送するためには、「録画」、「配信」、「放送技術」、「伝送ケーブル」、「映像編集」などのエンジニアリングの課題をクリアーしなければならず、どれ1つ欠けてしまっても、放送は成り立たなくなってしまいます。
問題な事は、「映像編集」の事で、8K時代の規格に世の中がなった時に、パソコンは、128ビットパソコン以上が必要になってくるはずですが、全体的に技術が追いついていない事です。
現状の試験放送の予定では、リオオリンピックの予定だったのですが、これは、できなくなってしまったようですが、プランは生きていて、NHKでは、「試験放送開始は、2016年8月1日予定」です。
(4K、8K時代には、もっと高い次元での「表現の自由」確保が必要)
今回、自分が書くメインテーマは、もっと高い次元での「表現の自由」確保の内容で、メイン趣旨としては、
・4K、8K時代の繊細な映像美を描き出して、効果が出るのは、もっと高い次元での「表現の自由」確保が必要で、これをクリアーできなければ、高繊細な映像美が表現確保できないので、意味無いだろう。という内容で、具体的に書けば、「4K、8K時代の繊細な映像美」の本領を発揮すると、「澄んだ渓谷の微細な滝しぶき」や「湧水などの液体表現が、リアルに表現できる」ので、「空気感が表現できる」時代になって、今現在と違って、「もっと繊細な映像表現が可能になる」ので、こういった、もっと高い次元での「表現の自由」確保ができる状態を確保しておかないといけないなぁと感じたからです。
(4K、8K時代には、アニメ用のエンコードフィルターが悪さをする時代になる)
これが、けっこうやっかいで、まず、現行では、「アニメ用のノイズ除去エンコードフィルター」というものが使われる事が多いですが、「4K、8K時代で、アニメ用のノイズ除去エンコードフィルターを使ってしまうと、先程書いた、微細な滝しぶきや、空気感が伝わるほどの高繊細が消失してしまって、4K、8Kの映像効果が、20%位しか発揮できない」事がわかってきたからです。
そもそも、現行の「アニメ用のノイズ除去エンコードフィルター」というものは、アナログ時代や、放送電波状況の悪い地域に、それなりに見やすくするために導入されたもので、わかりやすい例が、BSアニマックスなんかの映像は、アニメフィルターをかけているので、「ベタ塗り」部分は見やすくなりますが、「高繊細さは、大幅に激減してしまう」という特徴を持っていて、現行のままだと、「4K、8K時代の繊細な映像美」の本領が発揮できません。
デジタル時代以降のアニメは、「オリジナルのまま」が1番高繊細であって、「制作者やクリエイターの意図、イメージが、最も的確に表現された状態」です。
現行のハイビジョン時代の映像でも、きちんとした映像を見ると、「その制作者や、監督は、空気感まで、きちんと描いている事がわかります」が、これが、消滅してしまう事は、とてもよくないです。
例えば、テレビアニメ「凪のあすから」は、地上波と、BSアニマックスで放送されていたので、両方、比較して見ていたのですが、BSアニマックスでは、アニメフィルターの影響で、「空気感、海の雰囲気などが死んでいる」状態で、「オリジナルのまま」の映像では、「もっと澄んだ雰囲気」でした。
(「制作者やクリエイターの意図、イメージを確保し保証する」というのも著作権の役割)
実は、これは、「制作者やクリエイターの意図、イメージを確保し保証する」という方の著作権の方でも考えなければいけないテーマとなってしまって、「映像表現の追及」についての高い次元の話になりますが、「制作者やクリエイターの意図、イメージが、最も的確に表現された状態」が阻害された結果、「澄んだ雰囲気」でイメージ表現されていたものが阻害された事で、「ユーザーに伝わったイメージが改変されてしまった」、場合によっては、それによって、損失が出たという話なのです。
今回、自分が書いている事は、かなり高い次元での、映像表現の追及であって、しかし、「4K、8K時代の繊細な映像美」の本領が発揮できる環境を構築するには、どうしても避けて通れない道です。
現在の状態では、著作権は、「商業法のみに寄り過ぎている」という、いびつな形をしています。
しかし、本来の著作権の意図は、軍国主義や、検閲、「表現の自由の確保」という内容なのです。
それは、「制作者やクリエイターの意図、イメージを確保し保証する」という事で、「クリエイターというものは、あるイメージ、メッセージ、雰囲気などを、できるだけ忠実に再現して、ユーザーの心に届ける事で、時代の流れすらも変えていける」という事で、「ペンは剣よりも強し」という事ですが、軍国主義や、検閲、「表現の自由の確保」という内容では、「小説家でも、映像作家でもそうですが、”自分が作った時”と、”実際に出版されたり、放送された後の内容が変わってしまっていた”事を禁止するのが、「表現の自由」や「著作権法」の本来の目的なのです!」
これは、現在の日本では、軍国主義や、検閲といったものが、ほとんどみられなくなってしまったので、あまり意識しなくなってしまいましたが、軍国主義や検閲のあった時代では、「小説家も、映像作家も、自分が作った時の状態のものと、実際に出版、放送された時のものが、正確で同じものなのか?を、綿密にチェックする事は当たり前の事でした」
(「映像の雰囲気を変えてしまう」、「映像の前に、文字や、モザイク、黒塗りなどを被せてしまう」事は、著作権法違反)
こういった、軍国主義や、検閲のあった時代の「表現の自由」が確保されなかった時代の小説家や、映像作家では、こういった事を、事細かにチェックする事は当たり前でしたが、現在では、何か、ボーッとしてしまっていて、クリエイター側が何も意識していない状態になってしまって、これは、とてもよくない事です。
問題な事は、当たり前のように、放送する側が著作権法違反をしている事であって、「映像の雰囲気を変えてしまう」、「映像の前に、文字や、モザイク、黒塗りなどを被せてしまう」事は、著作権法違反ですが、例えば、「アニメなどの放送映像の画像の前に、スポンサー名を表示する」などの、「映像の前に、文字や、モザイク、黒塗りなどを被せてしまう」事は、著作権法違反です。
これは、わかりづらいので、現在でも、中国や、韓国では、検閲があるので、実際に起きた事件を書くと、中国や韓国の映画などの映像作家の作品で、国家検閲の結果、ある部分を、全部カットしろ!と命令がきて、結果的に、「映像の画像の前全体に、黒1色のみで塗りつぶされてしまって、音声のみになってしまった事件がありました」
このように、「クリエイターというものは、あるイメージ、メッセージ、雰囲気などを、できるだけ忠実に再現して、ユーザーの心に届ける事で、時代の流れすらも変えていける」という事を保証、確保するのが、「表現の自由」や著作権法の本来の意味であるので、「映像の前に、文字や、モザイク、黒塗りなどを被せてしまう」事は、著作権法違反となります。
「作品の前に文字を被せる事が著作権法違反だ」という事がわかりやすい例が、軍国主義時代の小説家の話で、「自分の実際に書いた内容」と、「出版後の内容」を、当時の小説家は、綿密にチェックしていましたが、それを怠ってしまうと、「あるメッセージを込めて、小説を書いた」にも関わらず、出版後の内容は、「時の政府を美化する内容に書き換えられてしまっていた」事が、よくある事だからです。
今回、自分がメインテーマで書きたかった内容は、4K、8K時代には、もっと高い次元での「表現の自由」確保が必要で、「アニメ用のノイズ除去エンコードフィルター」や、現在の、商業の方向にのみ、いびつに歪んでしまった著作権の状態では、「空気感まで表現できる」ほどの、4K、8K時代の映像表現が死んでしまって意味がない!という事がわかってきたので、もっと高い次元での「表現の自由」確保が必要です!
「空気感まで表現できる」程というのは、例えば、今まででは、「空があって、人が歩いていた」ように見えていたり、表現できなかったシーンが、「4K、8K時代の映像表現で高繊細に、クリエイターや監督がイメージした、空気感が再現できる時代になる」と、「澄んだ月明かりの空気感から、よりピリピリした緊張感をかもしだして、歩いて移動していっているシーンだ!」とかまで、監督が描けるようになる時代が来るのです!
その為には、現行のアニメフィルターや、商業の方向にのみ、いびつに歪んでしまった著作権の状態ではダメで、邪魔です!
本来の著作権法や、「表現の自由」確保というものが、「クリエイターというものは、あるイメージ、メッセージ、雰囲気などを、できるだけ忠実に再現して、ユーザーの心に届ける事で、時代の流れすらも変えていける」というペンは剣よりも強しである事を再認識しなければいけないという事が、「4K、8K時代」に新しい潮流を起こせるか。というキーワードになっています。
(軍国主義、検閲の状態を知るキーワード)
現在の日本は、軍国主義ではなくなっているので、わかりやすいように説明を書くと、「映像の前に、文字や、モザイク、黒塗りなどを被せてしまう」事を「作品を覆い隠す」とか「抹殺(まっさつ)する」といいます。
「抹殺(まっさつ)する」というのは、主に、軍国主義や検閲の影響が強い国で、主に、小説や書類などで「制作者の意図は、まったく考慮されずに、強制的に、都合の悪い箇所を、真っ黒に塗りつぶす」やり方の事で、抹消に似たものです。
また、「制作者が作った状態と、実際に、放送、出版などで作品が公開された状態が違ったものになっているかをチェックする」事を、「校訂(こうてい)」作業といいます。
「校訂(こうてい)」作業というのは、「校正」とは違って、「誤字、誤植も含めて、制作時と、発表、公開時の状態が完全に一致しているか?をチェックする」事で、軍国主義や検閲の強い場合には、この作業を怠ると、「クリエイターが作った状態と、発表された状態が、強引に改変されてしまっている」事が、よく起こってしまうからです。
このように、軍国主義時代や検閲時代の歴史の事を知っていると、今回、自分がテーマで書いている内容が、「いかに、クリエイターの表現の自由の確保に重要な事なのか」とか、「スポンサー名などの文字や、モザイク、黒塗りなどを、作品の前に被せて、作品を覆い隠してしまう」という事が、どれだけ重大な著作権法違反や、表現の自由の権利の阻害になっているかという事が、とてもよく理解できるはずです。
最近では、今回自分が書いたような事や、「予定調和」の社会傾向が出るなど、軍国主義的な危険な兆候が出だしているので、最近は、警告の意味で、そういった事を、よく書いているわけです。
「予定調和」というものは、「意見を強く言えない人ばかりになってしまった状態」の事で、その状態の社会を放置しておくと、気が付いた時には、「発表された作品の全てに、イスラム教のように、女性は醜いものなので、黒い布で、全ての肌を覆い隠す(過去の作品のオリジナルも含めて)」事が、法律で義務付けられたりします。
ですから、ヌード規制だとかやり出すと、非常に、危険な兆候なのです。
「クリエイターとは、作品を通して、ユーザーに、メッセージを発信して、ユーザーは、その作品を見て、感動して社会を変えていく力となっていく」という事が、表現の自由や、本来の著作権の役割です。
もし、「純愛ラブロマンス」で、「愛の大切さ」をクリエイターが描きたくて、ユーザーに伝えたかったメッセージ、表現があったにも関わらず、発表後の状態の作品では、改変されてしまっていて、イスラム教のように、「女性は醜いものなので、黒い布で、全ての肌を覆い隠せ!」とやってしまったら、どうなりますか?
「何か、よくわからない黒い物体がうごめいている」だけしか、ユーザーに伝わらなくなってしまいます。
ユーザーが受け取るイメージは、クリエイターが伝えたかったメッセージや表現とは、「まったく違ったものになって伝わってしまいます」
そうなってしまうと、「クリエイターが伝えたかった表現のイメージが阻害される」という状態となってしまって、とてもいけない事なので、そのために、表現の自由の確保や、著作権法というものは、本来あるのです。
(ゲーム実況などで、文字を被せる事は大丈夫)
「表現の自由」の方の著作権の方で、「作品の前に、文字を被せる事は、著作権法違反だ」と書きましたが、さらに、ややこしい事に、昨今の技術革新が著しくて、一概に判断できない内容があって、それが、WEBや、ブログ文化などで、「ゲーム実況などで、文字を被せる事」、「二次創作」なんかの文化の方です。
もともと、「作品の前に、文字を被せる事は、著作権法違反だ」という話は、「検閲の話」なので、オリジナル放送時や、出版時の話です。
クリエイターの文化というものは、「作者」-「作品」-「ユーザー」というように「人と人を結ぶもの」であり、「”感動”が、伝わった結果、何かしらのケミカル反応が起きて、社会が変わっていく」というもので、「ユーザー」も含めて、「人」が作品の完全な完成に関わっています。
「知られていないものは、存在してないのと同じ」、「ユーザーが、作品を見て、”感動”して、何らかのメッセージを発信する事」は、とても大切で大事な事です。
これら全てのケミカル反応が揃った時に、「文化」となって、「歴史も社会も変わっていく」というわけで、それが人類史です。
「ゲーム実況などで、文字を被せる事」、「二次創作」なんかの文化は、現在の最先端技術を駆使して、ユーザーが、コミュニケーション手段を新しく使えるような時代に入った事を表わしていて、これらの行為は正しい行為です。
コミュニケーション、ケミカル反応が存在しない状態に置かれた「作品」は「死んだ状態」です。
ユーザーと一緒に、作品や、”時代を作っていけた”事ができた作品が、不朽の名作となって、語り継がれていくわけです。
「初音ミク」というのが、社会現象にまでなった背景には、ユーザー間のコミュニケーションが活発にできた事で、とても効果的に、未知数のケミカル反応が起こった事が原因です。
(近代マーケティング)
ここで、「映像の前に、スポンサー名を被せるのは、著作権法違反だ」と書いたのですが、これは、違法アップロード対策です。
しかし、これも、最近の近代のマーケティングの状態が変わってきていて、まず、「無料WEB小説、無料WEBコミック」の方が大ブレイク、大ヒットになる時代になってきていて、この現象を解明しなければいけません。
これらの解析には、基本に立ち返る必要があって、マーケティングの基本を考えてみると、
・「知られている作品」は、ユーザーにとって「生きている作品」であり、「知られもしない、見もすらされない作品」は、ユーザーにとって、「存在していないものと同じ」。
これでは、「売れない」のは当たり前です!
これは、特に、現在のように、コンテンツが大量に溢れている時代には、目立たないで、すぐに埋もれてしまうので、露出が、とても大事です!
ですから、初音ミクという社会現象が起きた原因(前に自分がどこかに書いたバズ(buzz)やミーム(meme)の解析)もそうですが、本離れと言われているのに、なぜか?「無料WEB小説、無料WEBコミック」の方が大ブレイク、大ヒットになる時代になっている現在では、もう1度、基本の概念に立ち返ってみる必要があります。
それは、
・ユーザーは、「感動した」体験をしたから、その作品や関連商品を買う。(作品の前にスポンサー名を入れてしまうなどの、「感動」を阻害するような放送の方式になっていないか?チェックする必要がある)
という事で、現在、大ベストセラーになっている「無料WEB小説、無料WEBコミック」では、「無料で、作品の全部を見れる」にも関わらず、ユーザーは関連作品を大量に購入しています。
他にも、海外のアニメファンサイトを翻訳しながら、ユーザーの反応を見たり、チェックしたりしているのですが、自分が最近気になった事は、日本でも、マイナーなアニメである、はちゃめちゃアニメの「プロジェクトA子」が、海外のアニメファンが、「私が、今、1番大好きなアニメは、日本のアニメの「プロジェクトA子」です」と書いていた事です。
当然、海外では、そんなアニメは放送されていないのですが、違法アップロードで見たようで、海外ファンの人に熱が入ってしまっているようで、「これが!本来の、表現の自由や、クリエイターの効果だ!」という事で、「クリエイターの仕事というものは、”ユーザーの心に感動を与えたり、熱を与える事である!”、その結果、「感動が伝われば、売れる!」という基本に立ち返らなければいけない!と思い立ったわけです!
しかも!そういったおそらく違法アップロードを見た海外の日本アニメファンは、「それがきっかけで、日本語を猛勉強して、日本へ行ってみたい!」という情熱だけで、現在、2015年度では、「日本への海外からの観光客数1973万人」や、中国人などの爆買いや、秋葉原観光にまでなっているのです!(その経済効果は、数兆円規模)
こういったわけで、「ユーザーにとって、知らないものは、存在していないものと同じ」、「感動を与えれば、売れる!」というキーワードから、テレビ放送なども、基本に立ち返って、「映像表現美を追求して、ユーザーに感動を与える!」事ができれば、売れる!わけです!
現在の、商業のみに、いびつに歪んでしまって著作権の状態で、「クリエイターの作品の前に、スポンサー名、モザイク、黒塗りを入れたりして、感動が減っている」事の方が、「売れない原因」のような気がします。
(邪道で法律を捻じ曲げて、「作品の映像の上に、スポンサー名を被せる」手法は、違法アップロード対策としては、全くの逆効果)
実際の所は、「作品の映像の上に、スポンサー名を被せる」手法は、違法アップロード対策としては、全くの逆効果です。
よ〜く考えてみればわかる通り、では、「海外の動画アップロードサイトに、”作品の映像の上に、スポンサー名が入った動画”をアップロードされてしまった場合」について考えてみればいいと思いますが、「あたかも、正規のスポンサーによって、その違法アップロードは成された正規品です」という風に見えませんか?
このような「作品の映像の上に、スポンサー名を被せる」手法のような事を、「法律」の「邪道な使い方」といって、「邪道な方法でやったものは、所詮は、邪道として使われて終わりになるし、法律上の権利も主張できなくなってしまう」わけです。
例えば、コピーライト表記のようなものが、「法律的表記」と言いますが、同様に、「作品の映像の上に、スポンサー名を表記した場合には、法律的な意味で、その正規のスポンサーによって提供した正規品ですよと意思表示した、法律的な意味になってしまう」ので、「あたかも、その違法アップロードの映像は、”スポンサーが正規に提供していますよ”という意思表示になってしまう」という事なのです。
こういった「邪道」な方法を、テレビ局側が使ってしまった場合には、「その違法アップロードサイトに、この映像は、うちが作ったものだから削除してくれ」と依頼しても、「法律的な意味で、作品の映像の上に、スポンサー名を表記してしまっているので、その正規のスポンサーによって提供した正規品ですよと、あなた方、テレビ局側が意思表示をしてしまっているではありませんか」と言われれば、「もう反論できなくなってしまう」ので、「邪道」な方法や、法律を捻じ曲げた邪道な方法を使っては、絶対に!いけません!(要するに、邪道な手法を用いると、「その違法アップロード者は、そのスポンサーと正規の契約を結んでいる正しい人物ですよ」という意味になってしまう)
違法アップロード対策は、地道ですが、海外の違法アップロードサイトを巡回して削除していくしかありません。
「邪道は、邪道で返されてしまう」という事は覚えておきましょう。
(「肋骨レコード」の熱い魂)
もう1度、クリエイターとは何か?音楽家とは何か?といった概念の事を再び考え直す時期にきています。
戦中のロシアの「肋骨レコード」の魂を思い出せばわかる事ですが、戦中のロシアでは、欧米の音楽を聴く事すらも禁止されていて、さらに、物資も無い。そんな中でも、人々は、「音楽や、作品、感動を求めている!」
「肋骨レコード」というのは、そんな戦中のロシアの時代に、「レコード、蓄音機」の音を刻む円盤の代用になるので、「使用済みのレントゲンフィルム」を丸く切り抜いて、そこに、欧米の音楽を刻んで聴いていたわけです。(レントゲンなので、「肋骨が映り込んでいる」が音楽は聴ける)
ビートルズなどが、不朽の名作となっている原因は、この辺りの事が原因です。
昔の「蓄音機」というものは、針が付いていますが、「音を円盤に刻んで自分で録音する事もできる」ので、カセットテープが出る以前の時代に、音楽を聴く手段でした。
磁気記録のカセットテープというものも、そもそも、「音楽を聴ける」しろものではなくて、磁気テープをひきずって音を鳴らす仕組みですから、開発された当初は、「ガザガザ」というノイズの多いもので、そもそも、アメリカ軍などが、軍事記録をするために開発したのが、カセットテープです。
この音質の悪いカセットテープでは音楽など聴けるものではないと、海外が捨てた技術だったのですが、日本人が改良をした結果、「クラシック」まで普通にノイズなしで再現できるようになって、欧米人は、日本の技術の高さにびっくりしたそうです。
この戦中のロシアの「肋骨レコード」で、「実際に、海外の音楽や、作品に触れた人々に与えた感動の衝撃」から、「音楽に国境は無い!」とかの時代となっていき、「実際に、歴史を、どんどん変えていけるパワーがある!」というものが、本来の、クリエイターのメッセージであり、「人々に感動を与える!」という仕事なわけです。
ですから、自分が今回、趣旨で書いたように、もう1度クリエイターの基本に立ち返って、「クリエイターの表現したかった状態が、最も忠実、的確に再現できる環境を用意する」事で、「感動を十二分に人々に伝える事ができる環境の構築」ができる環境が必要であり、これが、「4K、8K時代を切り開き、未知の映像表現の可能性を無限大に切り開いていく鍵である!」と気が付いたわけです。
(実は、アナログの時代より試聴レベルが下がったデジタル時代。試聴品質の悪化は、大幅な視聴率低下につながる)
自分は、初代ガンダム世代なので、アナログの時代のテレビ放送時代の事を知っているので、どうしても、現代と比較して感じてしまうわけですが、アナログ時代には、現在よりも、試聴品質が大幅によかったし、視聴率も大幅に高かったです。
デジタル時代のテレビ放送時代は、画面内に、いろいろとごちゃごちゃ混入し過ぎてしまっていて、試聴品質は、大幅に低下してしまっていて、アナログ時代以下でしかありません。
このように、技術レベルと、試聴品質が反比例していくような傾向は、あまりいい事ではなく、むしろ、現代の世代の「テレビ離れ」という現象は、すんなり納得のいくものです。
要するに、技術だけ上がっても、視聴率が上がるわけではないので、周辺の事まで、きちんと環境を整えないと、せっかくの技術が台無しです。
アナログ時代には、視聴率を上げるために、いろいろと考えて考慮していたものですが、今のテレビ局は、視聴率を上げようという気概がありません。
技術レベルは低かったが、試聴品質が高かったアナログ時代の作品の方が、不朽の名作と呼ばれる作品が多かったのも納得のいく話です。
このように、試聴品質の悪化は、大幅な視聴率低下につながります。
今は、スマートフォンやら何やらとあるので、テレビの試聴環境の悪化は、すぐに、視聴者離れとなってしまって、他で、面白そうな事で、ユーザーは、みんな逃げてしまうだけです。