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クリエイターは視聴者に感情を作れるのか?(能動的視聴者と受動的視聴者)

前に、ホラーゲームの考察で、「クリエイターは視聴者に感情を作れるのか?」と書いたわけですが、
何か、ものを見せたり音響効果だけで、視聴者に感情を抱かせる事が簡単な感情の順番で書くと、

 

(視聴者に感情を抱かせる事が簡単な感情の順)
・不愉快
・怒らせる
-----(「不愉快、怒らせる」は、しろうとでも小学生でも誰でも作れる感情。「楽しい、笑わせる、恋愛感情」は、かなり簡単に引き起こせる感情で、少し小説家などの技術がいる)
・楽しい
・笑わせる
・恋愛感情
-----(ここから下は少し技巧がいる)
・せつない
・むなしい
・泣かせる
・恐怖

のような感じで、自分は、映画やドラマなんかを見て泣いたり恐怖で絶叫したりという経験がまったく無いので、なぜかなぁ?と考えた結果、少しわかってきた事があるので、その事について書いていきます。

 

(能動的視聴者と受動的視聴者)
まず、現代においては、中世ヨーロッパなどの戯曲の多く書かれた時代と大幅に違う事は、「能動的視聴者と受動的視聴者がいる」という事なのです。
「能動的視聴者」というのは、いわゆるバーチャルな体験をするタイプの技術手法が技術の進歩によってできるようになった事で、いわゆる「テレビゲーム」のように、自分自身が作中で自由に動けるという戯曲が作れるように近代文明が変わった事です。
自分の場合には、ヘビーゲーマーなので、「能動的視聴者」なので、「テレビゲーム」に慣れている視聴者の場合には、「作中で自分自身の意思で自由に動ける」ので、ホラー映画を見たとしても、自分自身で回避できる事を知っているから怖くないわけです。
一方で、「テレビゲーム」の場合には、ホラー作品の中に入り込んでいる影響もあるので、場面によっては、受動的な映画よりも、さらに怖い体験を感じるわけですが、同時に、「自分自身で回避できる事を知っている」のがゲーマーなので、怖くても乗り切れてしまう感じです。
よく女性や老人や外人が、新作映画上映会を見て、ボロボロに泣きながら出てくるのは、ある程度プロモーションや「サクラ」はあるものの、「テレビゲーム」をまったくしない人達にとっては、戯曲は全部「受動的視聴者」の方になって、「ただ受け取るだけしかできないで強要されている視聴者」は、テレビゲームのように、怖い、泣きたいシーンで、「自分自身で行動を変えて回避できる事を知っている」わけでもなく、いわば、拷問椅子に縛り付けられたまま受動的に受け取るだけの視聴者なので、泣くし、怖いわけです。
ゲームの制作スタイルにしても、古い日本のドラゴンクエストや、ファイナルファンタジーのように「ストーリードリブン」型と呼ばれる「シナリオライターの想定したレールの上に沿って進むだけ」の古いゲームでは、半分位は、中世ヨーロッパの戯曲のように「受動的視聴者」となんら変わらず、視聴者は、自らの意思を持って動く事が禁じられた拷問椅子に座らされた状態とあまり変わりありません。

 

そのような感じの事がわかったので、自分は、映画やドラマなんかを見て泣いたり恐怖で絶叫したりという経験がまったく無いという事が理解できたわけです。
あとは、自分自身が、1度でも何か物を作って、「クリエイター側の立場を経験している」と、ホラーとかを見ても、「この演出は、どうやったら作れそうなのか?」といった技術的課題に興味がそれているので、あまり怖く感じないようです。
クリエイターが意図していなくても、創作した物が視聴者にどのような感情を引き起こさせるか?は別の話で、なかなか作るのが難しい感情の「むなしさ」を、最近のテレビゲームで感じたのは、「A列車で行こう3D NEO(3DS)」が500円セールをやった時に、ゲームを開始すると、可愛い秘書のお姉さんが出てきて、いろいろとチュートリアルなどのサポートをしてくれますが、大人になってからゲームをすると、現実世界との差がわかってしまうので、このゲームの経営者は、数億円とか稼ぐようになるのに、この秘書と結婚したり子作りしたりできないという経営者としてかなりむなしい体験をします。
よく女性や老人や外人が、新作映画上映会を見て、ボロボロに泣くというのも、こういったように、「現実世界での経験からくる感情がある」から泣くのであって、作品だけで泣く事はかなり少ない気がします。
「テレビゲーム」が「能動的視聴者」であるという事は、けっこう人間のメンタル的に鍛えられたり、緊急災害時に冷静に行動できたりとメリットも大きいようで、ゲーマーは、パニック耐性が高かったり、緊急災害時に物事を解決しようと積極的に動けるようです。
テレビゲームをまったくしない人達は、「受動的視聴者」で現実に問題が起きても、頭があまり働かずに、ただ受け身で流されるように生きていくだけしかないようです。
特に、プレイステーション3以降辺りからは、3DCGの表現能力が現実のようになってきた影響で、これ以降は、「テレビゲーム」というよりも、「シミュレーター」の方に近いので、昔言われた「デジタルデバイド(digital divide)」問題と同様にして、「IT技術を持っている人々と持たない人々で格差が広がる」わけですが、そういったたぐいの問題が、「シミュレーター」のようになっている現代の「テレビゲーム」を遊んだ人々と遊ばない人々の間に、同様の格差が起きているようです。
もう少しして宇宙時代が到来すると、「テレビゲーム」は「シミュレーター」として必須技術になっていく事でしょう。
eスポーツの是非ですが、仮に、人類が火星移住するなどの時代になった時には、「長期間、地球での文明を忘れないように、eスポーツのテレビゲームによる野球やサッカーなどの広い空間の必要なスポーツの知恵を伝授していくのに必須技術となる」事でしょう。
クリエイターにとって、「能動的視聴者と受動的視聴者がいる」という事は、けっこう重要な事のようです。

| クリエイターの思想、哲学 | 21:54 | - | - | -
「表現の自由」と「規制」について考える(まずは、戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)からスタート)

 

 

最近の「ソニー検閲」について、このまま放置しておくと、クリエイターが自由に活動できなくなったり、ゲームメーカーが、「+3ヶ月位の修正費用を無駄にかけている」状態で、損害額が大きくなる一方で、つぶれる可能性が出てくるはずなので、今回は、戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)という学問のお話をします。

 

(2019年4月2日午前10時に、PSNアカウントの「強制サインアウト」を実施)
ソニーは、プレイステーション関係の規約を大幅に改定するので、再び、ユーザーへ「新規約への同意」の確認を取る為に、2019年4月2日午前10時に、PSNアカウントの「強制サインアウト」を実施すると発表していて、現在、PS4の画面に出ています。
詳細は不明なのですが、今後の新作ゲーム発表の雰囲気が少しずつ変わりつつあって、最近の「ソニー検閲」は、やはり、大昔のゲーム業界の「R指定」、「18禁指定」、「Z指定」とかの規制を決めた時と同様に、なぜか?「グロ、残虐表現」だけ、大幅に緩和される雰囲気が出てきています。
今の所、ゲームユーザーの間で出ている噂では、現在のプレイステーション関係のゲーム機では、「PSストアで代金を支払う時に、毎回、パスワードを入れなくても、子供でも買えてしまう」仕様なので、いろいろな意味で危険なので、そこを改善して、「課金の発生するタイミングで、毎回、パスワード入力が必須になる」とか言われていて、これによって、「大人しか所有できないクレジットカード決済によって、成人認証が可能になる」ので、それで、先に、「Z指定」ゲームの方のルール作りが明確になるようです。
今後の新作ゲーム発表の雰囲気が少しずつ変わりつつある例としては、「コール・オブ・クトゥルフ」という、「クトゥルフ神話」の世界観のゲームが出るのですが、その中で、今までは、残虐表現が強いので禁止されていた「内臓の描写」が出るようです。
最近の「ソニー検閲」以降、「CERO A, B(下着が見えたらアウト)」と、「CERO Z」以外は出せないような中途半端な状態が続いていて、ゲームメーカーの開発者が、ビビリまくって、自主規制を多く取るという変な「表現の自由」への干渉がある状態です。
個人的には、本来、規制しなければいけない方の、「残虐表現」を規制しないで、「エロ」表現(「愛」の描写。恋愛表現)はダメといった欧米路線の方がおかしいはずです。
実の所、「残虐表現」には大幅に寛容で、「エロ」表現には大幅に厳しいという性質を持つのが、「イスラム検閲」の特徴なので、税制などの原因で、アメリカに移ったソニーのSIEは、すでに、「イスラム検閲」を中心に動いている可能性があります。
現在、「ソニー検閲」で問題になっている部分は、ゲームメーカーが、みんなで決めたルールの「CERO」基準を無視して、ソニーが、独自に検閲を開始したので、ソニー側のビジネスマナー違反で、現在、多くのゲームメーカーは、「+3ヶ月位の修正費用を無駄にかけている」というリスクの高い損害の大きい経営を強いられてしまっているビジネスマナー違反がある事です。
これは、ビジネスでわかりやすい別の言い換えをすれば、「ゲームメーカー側は、リコール前提の状態で開発や発売を強いられている状態」という、無茶苦茶な状態です。
まず、ゲームメーカー側は、「最大の利益が出る」ように計算して、きちんと「CERO」基準のマークも取ってきていて、その基準に対して、イラストレーターなどに発注しています。(「最大の利益が出る」ように計算するのが経営です。例えば、ラノベや、ラブコメで「下着の描写の徹底的な禁止」をすれば、収益の計算は大幅に下がり、損害が出ます)
「ソニー検閲」が、「CERO」基準に従わないのであれば、ソニー側は、「CERO」からは脱退するべきで、独自の規制基準を発表するというのが、実際に、経費がかかるメーカーの経営に損害を与えない状態に必須です。
「ゲームメーカー側は、リコール前提の状態で開発や発売をしろ」と言って、「+3ヶ月位の修正費用を無駄にかけている」という現状を長く続ければ、元々、開発費のかさむリスクの高いゲーム産業では、経営が成り立たなくなるゲームメーカーが多く出てくるはずなので、早急に、きちんとした目安を決めるべきです。
1番の問題点は、「ソニー検閲」で「+3ヶ月位の修正費用を無駄にかけている」状態で、後で、強引にイラストなどを修正すると、多くの場合には、衣裳の生地の具合によって、「腕が変にねじ曲がったようになる」とかで、構図が全部変わってしまうので、「全部!描き直しになる!」とか、3DCGの場合に、パンツ規制を徹底的にやると、「ダンジョンのマップ構造が、平坦で、上下の構造が作れない」、「上下の坂は、上に登る時に、画角規制が入るので、地面や壁ばかり見ながら操作する事になるので、酔ってしまって健康被害が出る」、かといって、そういった事が起こらないように、衣裳デザインをすると、「ピエロのような変な衣裳デザインになって、全然、可愛くない」、「鋼鉄の鎧や、イスラム検閲のような、女性を全体で被せ物で覆うしかなくなる」ので、基本的に、この後で書く戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)という学問があるのですが、「女性を守りたくなる」ようなストーリー構成にしたい場合には、「女性が、あまり守られていない」状態に描く必要があって、要するに、わかりやすく言えば、「鋼鉄の鎧で覆われていて、頑丈そうで、放っておいても死にそうにない状態の女性」を守りたくなるように、人の意識は、なかなか向かないというわけです。
ですから、ホラー作品では、「女性がお風呂に入っていて、無防備な状態」の直後に、ホラーシーンが出てくると、「物凄く怖く感じる」というテクニックがあります。

 

(「表現の自由」と「規制」について考える)
まず、個人的には、昭和の戦中の軍国主義時代の規制の厳しかった時代の事も、少しは知っている世代なので、自分自身は、戦争自体はまったく知らないのですが、自分の世代は、学校の先生や周囲の大人に戦中の戦争経験者の残っていた世代で、「戦争体験談」は、よく聞かされた世代なので、よく知っているという変な世代です。
ですから、「表現の自由」への規制には反対ですが、一方で、ある程度のラインが必要な事も大事なので、「表現の自由」を確保しながら、「自主規制」ラインを、どこに引くのか?という感じの捉え方です。

 

<残虐表現>
<内臓の表現>
今回の「コール・オブ・クトゥルフ」という、「クトゥルフ神話」の世界観ですが、「クトゥルフ神話」というのは、「人類の未知の恐怖」、「狂気の向こう側に、1度行かなければ知り得ない事がある」といった世界観を持っているので、「表現の自由」というのは、作家や、クリエイターなどが、「最終的に伝えたい事」が、物語の全体を通して見た場合に出てくるというのが、戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)という学問で、この学問を抜きにして、勝手に、外部からの圧力で、「表現の自由」を規制するのは、浅学の極みで、まずは、「表現の自由」について議論したり、ディベートしたりする前段階の知識を持っていない状態です。
今回のソニー検閲は、この戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)をやらずに勝手な圧力で行われたので、多くの人々が怒っているわけです。
個人的には、残虐表現には反対の立場です。
一方で、戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)では、例えば、「内臓の表現」であれば、今回の「クトゥルフ神話」的な解釈の仕方や、医者であった「手塚治虫」のような解釈の仕方などがあって、それ自体には、規制のラインは存在していません。

 

<愛の表現、恋愛表現>
この戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)では、当然、多くの戯曲や作品は、「ロミオとジュリエット」のように、「恋愛表現」を多く扱うわけですが、現代のマーケティングでは、「ラノベ」、「ラブコメ」という人気路線になっています。
今回のソニー検閲に多くのクリエイターが怒っているのは、ゲーム、まんが、アニメ、ラノベ小説などで、売れ筋のメインである「ラブコメ」という人気路線があるのに、ソニー検閲が、イスラム検閲(「残虐表現」には大幅に寛容で、「エロ」表現には大幅に厳しいという性質を持つ)にのっとった形で強引にやってしまった事です。(主に、「下着の描写の禁止」、「女性の肌が見える事の禁止」という、イスラム検閲に、そっくりな検閲の仕方)
戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)では、「どのようにして、恋愛表現をやっていくか?」という事もする学問なわけで、「下着、勝負パンツ」も、「恋愛テクニックの1つ」という事で、こういった「恋愛」行為に関係して出てくる様々な事象は、それ自体が、「物語を構成していく重要なパズルのピースである」のに、それにたいして、検閲だ!と言って、外部からの圧力でやられたりしたら、戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)は、成り立ちません!
まず、「恋愛表現」の戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)としては、「下着は個性付けをする重要な要素」の1つで、実際の恋愛テクニックでもそうですが、「どういったセンスの下着を選ぶのか?」も重要な恋愛テクニックになります。
「イスラム検閲」というのが、何か?というと、主に、「女性は着飾ったりして、男性を魅了する事はしてはいけない」という内容で、もし、現代社会で、テレビ、ゲーム、まんが、アニメ、ラノベ小説などで、「イスラム検閲」に沿った検閲方針で取り決めるべきだ。とやり出した場合には、実際の世の中の方にも影響が出だして、現実の世の中で、「女性は、極力肌が見えないように、女性には、かぶり物をかぶせろ!」、「女性は、着飾るな!下着は、ズロース以外は、販売してはいけない!」という社会に、次第になっていきます。(実際、イスラム圏では撤去される)
昭和の軍国主義時代は、それに加えて、髪型も、「男子は坊主頭。女子は、おかっぱ以外認めない!」だったわけですが、ようやく、日本は、戦後になって、女性は、好きに着飾ったり、下着も、好きな可愛いデザインを選べるように、自由を獲得できたわけですから、今、再び、戦中のような自由の全く存在しない「表現規制」をする事には反対です。
検閲をする側は、まずは、戯曲学(物語学, ナラトロジー, narratology)を勉強するべきです!
おおむね、ほとんどの物語や戯曲を構成していく中のピースや事象は、「それ自体に潜在的に規制対象となるもの」は存在していません。

| クリエイターの思想、哲学 | 18:48 | - | - | -
4Kアニメを作るコツがわかってきた(「微妙な空気感とか、光の加減」をどう出すか?)

2018年12月1日から、日本では、「4K放送」が開始されたわけですが、「4Kアニメを作るコツ」のようなものがわかってきたので、覚え書きや参考資料として書いておきます。
まず、4Kになって1番変わる部分は、映像が繊細になる事で、「微妙な空気感とか、光の加減」が、今までと違って出せるようになります。
現在、4Kアニメで効果が出そうな作品としては、こういった「空気感」の表現のうまい「君の名は。」の「新海誠」監督の作品とか、「凪のあすから」や「色づく世界の明日から」の「篠原俊哉」監督の作品辺りです。

 

(「4K,8K」時代の高繊細映像は、放送する時の動画のエンコードの手法を誤ると消えてしまう)(2019年1月4日追記)
非常に問題なのは、「4K,8K」時代の高繊細映像の特徴である、「微妙な空気感とか、光の加減」というのは、放送する時の動画のエンコードの手法を誤ると消えてしまうという事です。
これに、自分が、初めて気が付いたのは、昔の2K時代の「凪のあすから」の映像ノイズ比較の為に、通常の地上波の(TOKYO MX)版と、(BSアニマックス)版で見比べていたのですが、「BSアニマックス」の方が綺麗なはずなのに、「何か、空気感の雰囲気が変わってしまっていて、悪くなっていた」事に気が付いた事です。
「BSアニマックス」は、アニメ向けの独特のエンコードを使っているようなのですが、これが悪さをしていて、「本来の、「凪のあすから」の背景にあった、クリアな感じの空や海の情景の雰囲気が消えてしまっていて、(TOKYO MX)版の方が自然な表現に見えた」わけです。
エンコードというのは、「何回もかけたり、独自の方式のエンコードをかけると、映像が、ある方向にクセが付いてしまって劣化する」のが、非常に悪さをするようです。(本来は、こういった「映像の見え方」の監督や作者のこだわりも含めて、「著作者人格権」の「同一性保持権」というのに定められています。例えば、テレビ放映をする側が、「見えやすくなった」と勘違いして、「ある方向性にクセを付けたエンコードを通した」場合に、結果の映像が、「輪郭が丸くなってしまったり、ボヤけてしまった」事で、本来の監督のイメージしていたのは、「クリアで透明感のある情景」だとか「シリアスでピンと張り詰めた雰囲気」に映像を仕上げていたのに、「柔らかい、やさしい感じ」に映像の雰囲気が変わってしまいました。こういった事になった場合には、「同一性保持権」が、「監督が意図していない雰囲気に改変された」としてクレームを付ける事ができます。要するに、「変な強いクセの付くエンコード」なんかは、たとえ、見やすくなったとしても使ってはいけません)
エンコードを何回もかけて劣化する現象は、2019年になってから、2K放送の「SSSS.GRIDMAN」と「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」の再放送が始まったのですが、どちらも、「輪郭が丸くなってしまってボヤけた感じに劣化していて汚く見える」ように思います。(「映像の劣化」も、本来は、「同一性保持権」的にアウト。「映像を劣化させたり汚い状態で放映する」のがアウトなのは、テレビなんかでは、一般の視聴者は、「それ1発を見て、そのアニメや監督の印象が決まってしまう」わけなので、テレビ局側のミスなのに、「作者や監督が、汚い監督、汚いアニメのようにイメージが付いてしまう」のでアウト。本当は、モザイクとかもかけてはいけないが、これは妥協点で今の状態になっている。PS4とかの「検閲」問題は、「同一性保持権」では、完全にアウト。「著作者人格権」というのは、「著作者が、表現の自由をする事を妨害してはいけない」という著作者が保護される権利の事で、「ある状態で作品を完成させました」これを、「同一性保持権」に違反して、外部の人間が、検閲などをかけて、「ここは、表現してはいけないので、マスクして下さい。とかの検閲指示を出してしまった場合」には、「同一性保持権」の違反になります。元々は、ヒトラーなんかのような検閲をしてはいけませんよ。「表現の自由」の権利は保障されます。という権利の事。軍事政権中や、現在の中国のように国家検閲で、「オリジナルを出版したり放映したりする」時に、「作った状態と、出版後や放映時が検閲で全く違った状態になる事を防いで、著作者の権利を保護する為の法律」で、あるページや部分が、全部、あるいは、ほとんどの範囲が黒ベタで見えないようにされてしまっていた時代への反省から、この「同一性保持権」というものがある。「オリジナルの著作物の状態と、同一性が保持される権利」という意味。最近、間違った法律の判断で、民間人が、勝手な判断で、「コンプライアンス(compliance)」だと言って、図書館などの絵本で、「桃太郎」、「猿蟹合戦」などを、「予定調和」で、「誰も死なない、傷つかない」ように勝手に改変するとかはアウト。「寓話」には、きちんと意味があります!)
要するに、「4K,8K」時代の高繊細映像は、放送する時の動画のエンコードの手法を誤ると消えてしまうので、放送局の映像ディレクターなんかは注意しておかないと、「汚い4K,8K映像」を、ボーッとしていると放映で流してしまって失敗してしまいます。
「4K,8K」映像で1番変わる部分は、「本当に目の前にあるかのような高繊細の臨場感がある」のですが、これが消えてしまうと台無しになります。

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(4Kの映像が繊細になる事で、「微妙な空気感とか、光の加減」をどうやって出すか?)
それで、今回、自分が気が付いた事は、「どうすれば?この4Kの高繊細を生かして、微妙な空気感とか、光の加減を出していけるのか?」と考えていたのですが、そのコツが、ようやくわかりました。
(1) 「微妙な光の加減を出す」には、半透明のアルファチャンネルだけではダメで、「光を出す」=「影を知る」です。
(2) 「影を知る」には、「体の凹凸や、物体の凹凸を正確に見抜かないといけない」
(3) 「体の凹凸や、物体の凹凸を正確に見抜く」=「セルアニメでは、光源に対して出てくる"稜線(りょうせん)"のラインを正確に見抜いて描かないといけない」
(4) この「体の凹凸で出る"稜線(りょうせん)"部分」を正確に把握できると、「きちんと物体に影が、リアリティーを持って付けられる」ので、この「稜線(りょうせん)を見抜く作業」を抜きにして、半透明のアルファチャンネルだけを重ねても、全く効果が出ない。(「体の凹凸で出る"稜線(りょうせん)"部分」を正確に見抜くのが、本当に大事になる)

 

という感じのコツがわかりました。
これから、4Kアニメで、「微妙な空気感とか、光の加減」が出せるようになるので、今回わかったコツを参考にしてクリエイターの人はやってみましょう!
実際には、4Kアニメは、「甲鉄城のカバネリ」クラスで描き込まないと、あまり効果が出ないわけですが、最近は、「ペンタブレット」なんかのデジタル周辺機器が高性能化してきたので、度を超えて大変になるわけではないようです。
むしろ、キャンバスが大きくなったと考えて、昔の「小さいキャンバス内で無理して収めていた」という事をしなくてよくなったので、楽になる部分や恩恵の方が大きいです。

 

(わからない問題が出たら事象から考えよう)
今回の話は、自分の頭の計算の仕方では、「事象」という考え方を使っていて、自分は、こちらの方がわかりやすいです。
「事象」というのは、数理論理学(数学基礎論)の用語で、哲学の問題を計算を使って解く事にも利用できます。
「事象」は、数学で扱えますから、対象を計算の扱いの範疇に持ってくる事ができて、要するに、「人工知能」の頭の中です。
「事象」は、数学で扱えるという事は、「より客観的な起きている出来事」の意味です。
似た単語に、「現象」があって、こちらは、「人間の側から見えている世界での出来事の捉え方」で、例えば、「社会現象」とかのような使い方をします。
「人間の側から見えている世界での出来事」には、「主観(個人的な思い込み)」、「体感」などが入ってくるので正確なデータとして扱えないので、数学や科学的に扱いたいデータや、哲学で、より客観的に世界を認識したい場合には、「事象」を使います。
このように説明していても、よくわからないと思うので、「事象」の扱い方を実際にやってみた方が早いので、今回の例で説明すると、

 

(1) 「光」や「光子」のように、いまいち「事象」のふるまいがよくわからないものがあった場合には、「事象」の計算の仕方では、「逆側」の「事象」から考えるとわかる場合があります。
これを、哲学で、「二元論」と言います。
この世の中の、ほとんど全ての「事象」は、「二元論」的なふるまいをするものでできているので、「ある事象が存在している場合には、その逆側の事ができたり、存在している事が多い」わけです。
今回の例の場合では、「光」や「光子」の事象のふるまいがよくわからなかったので、「二元論」を仮定して、逆側から計算をアプローチしようとした。
これが、「光」を知るには、「影」を知る。です。
このように、事象を使った計算を使うと、天文学のダークマターなどの「見えないもの」や、いろいろな社会や自然界で起きる「捉えづらい現象」が起きた場合に、逆側の事象からアプローチすると、間接的に、その事象のふるまいを捉える事ができる可能性があります。

 

(2) 次に自分がした事象計算の手法が、「投影」とか、「間接手法」と呼ばれる方法で、私達は、日常で生活していて「光は明るい」というような「人間側から感じられる体感現象」の方で、曖昧で間違った捉え方の「現象」で把握しています。
しかし、実際の「事象」の方では、本当は、「光が明るい」わけではなくて、「光子が何かの物体に当たった輪郭を見ている」だけです。
「光の現象」や「空気感」を根本から考えて作るには、これではダメだという事です。
わかりやすい例が、「太陽と宇宙空間」の例が、本物の事象から見た「光」の性質をよく表していて、「光は、太陽程の強烈なエネルギーとまぶしさで光っていても、太陽の周りの宇宙空間は、"真っ黒"です」
つまり、「人間の側から体感で感じている世界は真実を示しておらず、曖昧な体感現象を事実だと誤認している」から、いつまで経っても、「人間は真実を知る事はできない」というわけです。
「光が明るい」という状態に感じられるには、「物体」が存在していないといけないわけです。
要するに、自分が次にした事象計算の手法が、「投影」とか、「間接手法」と呼ばれる方法と書いたのは、「事象のふるまいのよくわからない光や光子のふるまいを捉える為に、投影手法や、間接的に事象を捉える手法を使って、つまり、物体に投影して間接的に観察した」というわけです。
このように、「事象」計算の手法を使うと、同じ手法を使って、何も、今回の「光」のふるまいだけに限らず、ダークマターとか、量子力学とか、幽霊的なものだとかいうように、「直接的なアプローチでは把握不可能な事象」のふるまいを観察できる可能性があったり、さらに、「事象」としてきちんと観測できれば、「数学、科学などの計算ができる」という凄い領域に持ってくる事ができます。
ですから、前に、「自分の頭の構造は、人工知能の方に近い物の捉え方をしている」と書いたのは、今回、書いたような見え方で、自分は、いろいろな物事を見ているからです。
今回書いたような、「事象」計算の手法は、この間書いたように、2019年5月20日に、「国際的な重さの基準が「プランク定数」を基準の方式に変わる」という、今後の量子力学が基準になってくる科学史では、非常に重要になってくる話なので、科学者は扱えるようになっておく必要があります。

 

(大切な事)
・よくわからない事や把握が困難な事がある場合には、「人の主観を徹底的に排除した」、「事象」の方の計算に持っていきましょう!
・「事象」としてきちんと観測できた出来事は、「数学、科学などの計算ができる」という領域に持ってくる事ができます。
ですから、「人間社会の複雑な社会現象で起きてくる出来事も、事象としてきちんと観測し直せば、マーケティングなどの計算式に持ってくる事ができます」(どちらかといえば、「人間側の主観的、体感的な見え方」ではなくて、「人工知能」の「BEATLESS」の「レイシア」のような見え方の方。「人の主観、体感」からの見え方や感じ方ではないので、人間側からは理解不能だが、「現実の出来事は、正確な事象計算の人工知能側の計算結果の方が正解なので、そのように動いていく社会」という意味)
これは、現在のマーケティングなんかでやっているような適当な計算の意味ではなくて、もっと哲学や魂の根幹まで計算できるような意味で書いています。
前に、量子力学の科学史以降の時代は、テレビアニメの「イングレス」の「サラ・コッポラ」の見え方のようなものや、超能力的なものまで、「ハードSF(現実の世界でエンジニアリング的に実際に作れる)」の領域に持ってこられそうだと書いたわけですが、そのような見え方の意味で、次回に説明を書く予定です。
わかりやすく書けば、20世紀や現在までの科学者の見え方というのは、原始人とあまり変わっていなくて、「主観や体感に満ちた、曖昧な見方で、この世の事象を捉えようとしていたので、間違った計算結果になった」という話です。(21世紀に、ノーベル賞を取りたい人は、最低ランクでも、この事が理解できていないと無理でしょう)

| クリエイターの思想、哲学 | 16:46 | - | - | -
新しいクリエイターの活動の舞台「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」のシステムが動き出した!

 

現在、社会システムの方で、クリエイターにとって、大きな変革の時期に入ったようです。
「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」というシステムができた事で、クリエイター側が、自由に、「スキル販売」ができる時代になったという関係の話を書いていきます。
今回の話は、「セミプロ」から先の社会人の話なので、一応、法律も関係してくるので、行動には、慎重にお願いします。

 

(クリエイター文化の歴史の流れ)
歴史の流れの順番で書けば、前にも少し書いた事があるのですが、技術発展によって、20世紀にはできなかったいろいろな事が社会で可能になっていく順番で、
(1) ユーザー情報発信が可能になりつつある時代の初期(ポッドキャスト(Podcast)(2004年頃), YouTube, ブログ(2002年頃)などが初めて世の中に出てきた時代
(2) 「VOCALOID」の誕生(「VOCALOID1」の時代(「メイコ(2004年)」、「カイト(2006年)」が世の中に出る))
この時期は、まだDTMをすでにやっていた一部の先端的なユーザーしか「VOCALOID」は使っていませんでした。
(3) 「初音ミク」の誕生(2007年8月31日)(「VOCALOID2」の時代)
(4) 「初音ミク」が爆発的な社会現象になる。
ここの背景には、「クリプトンがピアプロを作って、それぞれの分野のクリエイターの橋渡しの場所ができた」、「ニコニコができたことで、クリエイター間のコミュニケーションが盛んになった」という背景があります。
個人的には、自分は、この時期に、「初音ミク」ちゃんが、それぞれの分野のクリエイターのみんなに、手をつないでくれたようなイメージがあって、それ以前には、社会に埋もれていた、見えないクリエイターの多くが花開いた時期でした。
日本は、世界でも珍しい「高学識、多趣味文化」社会を形成していて、コミケやワンフェスなんかでは、「プロ級のしろうと」が大量にいる国です。
(5) (今ココ→)それで、今回の話題は、今の時期は、さらに1歩進んで、「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」というシステムができた事で、クリエイター側が、自由に、「スキル販売」ができる時代になったというわけです。(しかし、「セミプロ」向けで、金銭が絡むので法律がくっついてくる話なので、行動には慎重にお願いします)
一方で、こういった「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」というシステムを使えば、例えば、「ココナラ」は、「得意を売れる」というモットーになっているので、現在でも、声優の卵の人や、声優になりたかったけどダメっぽいが、しろうとにしてはうますぎる声優学校の学生なんかの人に、「自作ゲーム」の声の担当を依頼したりする事ができます。
当然、「セミプロ」、「社会人」向けの話なので、「なんとなく」で依頼する事はダメで、「事前に、ゲームのシナリオの台本が完全に完成していて依頼する」ような感じです。
一方で、トラブルの発生も予感させるところがあって、まず、「自分が思っていたのと違う」とか言って「お金を支払わない」のは違反です。
ですから、こういったサービスを利用する前の心構えの段取りとしては、わかりやすい例が、コミケなんかで、「自分がすでに知っているあこがれの絵師」の人に依頼するような感覚でないと、「自分が思っていたのと違う」というような変なトラブルが発生しやすいはずです。
まずは、社会人マナーとして、「相互尊重」、「リスペクト(英語: respect「尊敬、敬意」)」の気持ちから依頼できる場所以外には、依頼しない方が、トラブルを避けるには良さそうです。
一方で、この新しい社会システムの、「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」なんかは、まだ法律がきちんとできていない部分があるので、未知の犯罪が発生する可能性も高いので注意しましょう!

 

(犯罪になるのでやめた方がいいもの)
・ギャンブル、賭博、バカラ賭博の運営の仕方教えます。なんかの関係
・株式操作
・犯罪の仕方を教える

 

(法律が絡むので、慎重に行動する必要があるもの)
・イラスト、声優代行なんかの場合には、「著作権」の権利関係を事前にお互いでしっかりと協議しておく必要があります。
・「ココナラ」には、「キャッチコピー」の制作請負なんかもあるのですが、ここの分野は、著作権、商標登録などを「事前に済ませてある自分に権利のあるもの」以外は、安易な気持ちで販売すると、あとで、大きな裁判になって多額の借金を背負う事になりますので、ここの分野は、しろうとは手を出さない事です。
一方で、「著作権」には法律として登録するような法学の分野のものではなくて、「著作権は、自然発生権といって、著作物を作ったその瞬間に、自然に発生する権利」です。
これは当たり前の事ですが、「著作権」というものは、「その著作物を作った本人は誰なのか?」を正確に示す為のものです。
ですから、「幼児が、プリキュアの絵を描いた」場合には、「その絵の著作権は、その幼児にあります」、「プリキュアの版権があるのは、会社の方です」
プリキュアの番組の最後とか、町の「七夕」のイベントなどで、「幼児の描いた絵」が飾られるというのは、「下手とか関係なく、みんなが、その幼児の描いた絵を見れば、心が和むからというわけで、それだけの価値が認められているから」というわけで、「そういった価値に対して、その絵を描いた著作者は誰なのか?どの園児が描いたのか?を正確に示すのが、著作権です」
ですから、「著作者」というのは、「正確に、その本人1人(か、合作の場合は全員の名前)です」
「著作権」には、「商業的に活動する場合の権利」の取り決めなどを法律でする事は可能ですが、「著作者を委譲する」とかはあり得ない事です。(要するに、タイムマシンがあった場合に、「その制作した本人」が正確にわかるような意味なのが、「著作者」)

例えば、「誰かに、イラストや文章を書いてもらって、お金を支払って、その著作者はオレだ!」とかやるのは犯罪の方にあたって、「ゴーストライター」とか言われます。

著作者というのは、要するに、レオナルド・ダヴィンチなんかの例の方がわかりやすいですが、「作者」、「原作者」が誰なのか?を正確に示したものの事です。
もし、正確な著作者、原作者が誰なのか?が正確に把握できなければ、その絵や作品なんかの続編を依頼したり、修正を依頼したりする事ができません。
ですから、お金を払ったからといって、「著作者の委譲」はできなくて、それをすると、ゴーストライター状態になってしまって、偽って、形だけ作品を発表しているわけなので、「続きの作品」の依頼が来た時に、ゴーストライター状態では作れません。
「著作者」という表記は、要するに、「その作品を作った本当の能力を持っている人」が誰なのか?を正確に示すためのものです。

・二次創作
「二次創作」系のものは、例えば、「東方Project」のようにオリジナルの作者が、明確に、仕組みを決めている作品以外は、基本的に、アウトなので、注意しましょう!
「著作権」の法律の中には、「著作権者の意思の尊重」というものがあって、「その作者本人が、どのように活動していきたいのか?」の方が先に優先されます。(国の仕組みに従え!ではない)
例えば、「東方Project」なんかの場合には、「みんなでワイワイ楽しみたい」という感じのコンセプトだったので、多くのファンや、クリエイターの心をつかんで、気が付けば、世界規模で、知られている位、有名な作品になりました。
こういったように、「どのような活動方針でやっていくのか?」という事は、「著作権者の意思の尊重」の仕組みによって、著作者の意思によって自由に決めていい事なので、自分の活動が、1番花開いていくようにする為には、どうすればいいのか?などをしっかりと考えた上で、決めていけばいい事です。(当然、「誰にも使用させない」とか、「誰にも見せない」など著作者の意思を明確にすれば、それが尊重されます)

 

(「サロン」の仕組みが必要)
中世ヨーロッパの画家や、社交の場として、かつては、ヨーロッパには、「サロン」という社交の場がありました。
現在、いきなり、日本で、「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」なんかのシステムを利用すると、大きなトラブルや犯罪が発生するだけになる可能性があって、「ニコニコ超会議」や「ピアプロ」、「コミケ」なんかのような、「クリエイター同士が、相互に尊重して、尊敬とあこがれの関係で結ばれる」ような場所を作らないと、「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」なんかのシステムは、崩壊する可能性が高いです。(「お金を支払ったのに、自分の思っていたのと違う」などのトラブルが多発するだけ)
ですから、「コミケ」なんかで、「知っているあこがれの絵師」にイラストを依頼したいという場合の依頼の仕方で、「その人に、あこがれているから。尊敬しているから依頼した」という、依頼者側の心持ちが無いと、ほとんどの場合には、「しろうと同士の発注になる」ので、トラブル発生にしかならない気もします。

 

(トラブル発生の回避の仕方)
「自分が思っていたのと違う」というような変なトラブルが発生する原因は、プロの仕事の場合もそうですが、「依頼する側のイメージが固まっていない。何がしたいのか?依頼した側がわかっていない」ような状態での「指示ミス」が多いです。
ですから、「依頼する前に、例えば、絵師に依頼するならば、”どのように描いて欲しいのか?”、”どのようなイメージは必ず含めて欲しいのか?”など、依頼者側の妄想内容を明確にして、それをきちんと紙に書き出していきましょう!」
少しイラストは描けるが、自分に自信が無くてという人の場合には、「こんな感じのイラストのイメージを、あこがれの絵師さんの画風や、大胆な絵師独特の画風にアレンジしてほしい」とか、少しでも、イラストが描ける人は、より具体的なイメージを伝えやすくなります。
実際のプロのアニメ制作でも、「そもそもが、別の人間の脳みその中身の妄想のイメージを、大多数の人間で共有していく」事の難しさがあるので、「イメージボード」という中心になる「背景、社会設定、人物のキャラクターの性格や特徴がわかるイラスト」を先に描いて、会議などで、それぞれのクリエイター同士で、イメージを膨らませていく過程があるわけです。
ですから、「自分が思っていたのと違う」というような変なトラブルを回避するのは、こういった依頼者側から伝えられる妄想のイメージ量によって、「他人の頭の中の妄想」を伝える必要があるわけですから、依頼者側の事前の段取りが不十分だと、「納得がいかない」結果に陥りがちです。
依頼する前に、「事前に、自分のイメージをしっかりと紙に書き出して把握しておいてから、しっかりと伝えられるように準備しておきましょう!」
ここら辺は、「社会人マナー」の方なので、「依頼者側が、”そもそも自分が何をして欲しいのか?わかっていない”のに、発注してしまう」とかをしてしまっているから、「自分が思っていたのと違う」というような変なトラブルが発生するわけです。

 

(大事な事)
次の事に注意をすれば、「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」というシステムは、クリエイターにとって、とても大きな力や変革の時期になったりします。
・クリエイター同士で、イメージを膨らませていき、「イメージを共有する」
・コミケなんかのように、「あこがれの絵師に、自分のイメージを描いてもらいたい」などのような、社会人マナーとして、「相互尊重」、「リスペクト(英語: respect「尊敬、敬意」)」の気持ちから依頼するような段取りでないと、トラブルにしかならないだろう。

 

(世界の時代背景)
実は、今回のような社会システムが作られる前段階がすでに欧米であって、「シェアリング」などと呼ばれていました。
「シェアリング」は、キリスト教的な発想で、「みんなで足りない部分は助け合っていこう」という感じで、日本で有名になっているのは、「カーシェアリング」とかのように、「車が必要な人に、自分の車を貸してもいいよ」というような感じのサービスですが、欧米では、他にも、いろいろな事を、「みんなで足りない部分は助け合っていこう」という感じでやっていて、その背景には、「国の政治政策の失敗で、地域から行政が無くなってしまった」などの酷い社会背景がある事もあって、日本も、それに半分引っかかってきている段階です。
欧米では、他の例で、例えば、「老人が、家の蛍光灯の付け替えができないで困っている。庭の植木の手入れをする体力がない」ような場合には、「何でもやります」という便利屋を少額のお金でやってあげる人なんかがあります。
本来、昭和の時代なんかの古い時代では、「お金」ではなくて、「困っている人を助ける」のは、人の倫理観として当たり前で、「困っている事をやってもらった人は、当たり前の感謝の気持ちで、食事でも食べていったらどう?」という感じの人間の倫理観が高い社会を形成していたのですが、資本主義になってしまって、人間の倫理観が大幅に低下しました。
こういったキリスト教的な倫理観の理解や、「助け合い」の思想が背景にある事を理解しないで、日本で、「ココナラ」、「SKIMA」、「teacha(ティーチャ)」なんかのシステムを利用すると、大きなトラブルや犯罪が発生するだけになる可能性があります。
一応、今回書いたような注意点をよく理解した上で、「セミプロ」向け、「金銭のやりとりが発生するので、法律が絡んでくる」という事を理解した上で、上手に使えば、今までにはできなかったクリエイター同士のつながりができて、未知の大きな発展の可能性も出てきます。
自分が、パッと見ただけで、今回書いたような問題が存在していますが、今回、自分が書いたように全体の調律をうまくできる仕組みができれば、これらの新しいシステムは、大きくクリエイターを花開かせるシステムになる可能性を秘めています。(仕組みだけ作ってもダメで、問題の発生する原因を把握して、全体の調律が必要!)

 

(ココナラ)(スキル販売「得意を売れる」)
https://coconala.com/

 

(SKIMA)(イラスト、似顔絵依頼)
https://www.skima.jp/

 

(teacha(ティーチャ))(メルカリ運営の「教える」スキル販売開始予定)
https://www.teacha.me/

| クリエイターの思想、哲学 | 09:51 | - | - | -
ヘッドホンの選び方

 最近は、「クリエイターについて」の話題を書いているので、前回は、「目や耳を鍛えよう」という話題を書いたので、ちょうど、自分の使っているヘッドホンが壊れてしまったので、「ヘッドホンの選び方」について書いていこうと思います。
といっても、今回の自分のヘッドホン選びは少し特殊で、「今まで使っていて聴き慣れたヘッドホンに近い音のヘッドホンを探す」という目的なので、今回買ったヘッドホンが別に音質がいいというわけではありません。
また、今回、自分が買ったヘッドホンの目的は、「日常使用用のヘッドホンを買う」です。
ヘッドホンを買う場合には、ヘッドホンは、耳元で直接鳴るので、音の細かいニュアンスが直接出やすいし、音の好みは人それぞれなので、「必ず、店頭やオーディオイベントなどで実際に試聴してから買って下さい」
スピーカーもヘッドホンも、「生の音に、どこまで近づけられるか?」という所が本来の音質の良さなので、できるだけ「生の音の状態を体感しておく」事は、とても大切です。
ここに書いた事は、自分が個人的に気をつけている事を書いて参考にしてもらおうという趣旨なので、音へのこだわりは人それぞれだし、人によって聴く音楽の種類も違うので、音に対して注意するポイントも違うはずなので、それぞれの音楽ジャンルにこだわりのある人の意見も参考にした方がいいです。

(ヘッドホンの種類と目的)
ヘッドホンというものは、単に、「値段の高い製品を買ったから、いい音で鳴る」というわけではなくて、買う前に、「ヘッドホンの使用目的」に合った物を買う必要があります。
場合によっては、いくつかヘッドホンを用意しておいて、用途別に、音の違いを聴き比べて使用する必要がある場合があって、特に、「初音ミク」関連などで、楽曲を制作している人などは、いくつかの特徴の違うヘッドホンを持っておいた方がいいです。

(目的別種類)
(1) 日常使用用のヘッドホン
「日常使用用のヘッドホン」に必要な能力としては、「長時間聴いていても、耳が痛くならない(音圧的な耳の痛さと、物理的に耳を圧迫する痛さがない事)」、「自然な音の広がりがある」、「気軽に扱える」などです。
高級ヘッドホンの多くは、迫力がありすぎて、長時間使うと、かえって疲れる事も多いので、「日常使用用のヘッドホン」は、中級ヘッドホン位が、ちょうどいい事が多いです。(5000円〜20000円程度がいい)
2000円位の安いヘッドホンは、音に腰が無くて、ヒョロヒョロした感じしか出ないので、普通に、テレビをつけて、テレビから聴こえる音と大差ないので、安すぎるヘッドホンは買わない方がいいです。

(2) モニタリングヘッドホン
「モニタリングヘッドホン」は、非常に、特殊なヘッドホンで一般の人は買う事は控えた方がいいものですが、「初音ミク」関連などで、楽曲を制作している人など、「本気で、音楽制作をしている人は、必ず、1つは必要になるヘッドホン」です。
「モニタリングヘッドホン」の特徴は、「解像度や分解能がやたらに高い」ので、「主に、作った音楽のノイズチェックをしたり、音の細かいエフェクト具合を微調整するのに、必ず必要になります」
「音の解像度」というのは、「そこに含まれている音を、バラバラにくっきりと聞える」という音の分離能力に優れたという意味で、最近のヘッドホンの多くは、「モニタリングヘッドホン」でなくても、そこそこ解像度や分解能が高いので、いろいろと細かい含まれている音を分けて聴き取る事は、それなりにできます。((注意)「音の解像度」と「分解能」という言い方は、昔は無かったもので、現在、雑誌のオーディオ評論家や、メーカーカタログや、各個人によって、使われている定義がだいぶ違う「曖昧オーディオ用語」なので注意が必要です。1番下に、まとめて書いてあります)
「そこに含まれている音を、バラバラにくっきりと聞える」というのは、一見、良さそうですが、実は、「音楽の基本は、音のシンフォニー、ハーモニー」といって、もともとの音楽の概念の基本は、ギリシャ神話に出てくるミューズという音楽や芸術の女神達の内容で、ギリシャ語で書くと、ハーモニーは、αρμονία (調和)の意味です。
要するに、音楽というものは、複数の音や、人の心などが1つにまとまって、ちょうど良い具合に「調和させる」という概念で、音楽の場合には、複数の音が「重なり合った時に、綺麗にまとまって調和して聴こえる」事が大切とされます。
しかし、「モニタリングヘッドホン」では、あまりにも解像度や、分解能が高すぎて、「こういった音の調和である、ハーモニーやシンフォニーの音の状態を壊してしまう」ので、「モニタリングヘッドホン」で聴く音楽は、「音のシンフォニー、ハーモニーが、ズタズタになった汚い音に聴こえてしまう」のです。
なので、一般の人が、「心地良い音楽を聴きたい」という目的で買う場合には、「モニタリングヘッドホン」は、絶対にお勧めしません。
しかし、「モニタリングヘッドホン」は、「音楽のプロ」や「テレビ局、ラジオ局」などでは、必ず使用していて、その理由は、「ノイズチェック」なのです。
「モニタリングヘッドホン」位の解像度や、分解能の高さがないと、「プロとして通用するノイズの少ない音」は作れません。
なので、「本気で、音楽を作っている人」などは、ノイズチェックや、そこに含まれている音を全て正確に把握するために、「モニタリングヘッドホン」は、必ず、1本は必要です。
「モニタリングヘッドホン」で、長年、多くのテレビ局が使っていて有名なのは、ソニーの「MDR-CD900ST」ですが、今現在では、いろいろなメーカーが、それぞれ作っているので、いろいろと探してみるといいと思います。
他にも、「モニタリングヘッドホン」をプロが使う用途としては、例えば、DTMなどでは、細かいエフェクト具合を付ける事ができますが、エコーなんかをかける場合には、「どのタイミングから、どの位のエコーの広がりや強さで広がっていくのか?」などの細かいニュアンスの調整を自由にできますが、「モニタリングヘッドホン」を使えば、「その細かいタイミングやニュアンス具合の調整が聴き取れるので精密調整できます」
なので、初音ミクで楽曲を作っている人や、DTMをやっている人や、本気で音楽制作や、音のエフェクト制作、効果音制作などをしている人は、「モニタリングヘッドホン」が必須となるわけです。
効果音制作をしている人は、「音のエフェクトを微調整して付加したりする関係で、ヘッドホンから聞いた時の作った音に変な味付けがされて聞えると、エフェクトの微調整自体がわからなくなってしまうので、それで、中立的に正確な音が再現できるモニタリングヘッドホンが必須なわけです」
一般の音楽を聴くヘッドホンは、「人が聴いていて心地良いように、だいぶ味付けされた音になっています」が、これが、効果音制作などでは、とても邪魔になってしまうわけです。
「モニタリングヘッドホン」で微調整が終わったら、一般的な普通のヘッドホンで聴いてみて、普通の人が聴く場合には、どのように聴こえるのか?チェックします。
なので、ヘッドホンは、いくつか種類の違う物を持っていた方がいいわけです。

(3) 外出時に使うヘッドホン
「外出時に使うヘッドホン」は、「音漏れが少ない」とかがいいのですが、今は、「密閉型ヘッドホン」は、かなり完全に音をシャットアウトしてしまうので、交通事故などがとても危険なので、あまりお勧めできません。

(4) 室内で使うヘッドホン
「室内で使うヘッドホン」では、自宅などで気軽に使う場合には、特に、音漏れを気にする事なく気軽に、いい音で使えるので、「オープンエアー型(開放型)」が、とてもいいです。
また、室内の場合には、多少、大がかりな事もできるので、「コンデンサー型(静電型)ヘッドホン」が圧倒的に綺麗に聴こえますが、かなり特殊なヘッドホンなので、「専用のアンプ」が必要です。
「コンデンサー型(静電型)ヘッドホン」というのは、かなりの電圧をかけないと動かないので、「耳の横に、スピーカーをぶら下げる」ような概念の物です。
何で、「オープンエアー型(開放型)」や、「コンデンサー型(静電型)ヘッドホン」が、自然な音で鳴るのか?というと、ヘッドホンでもスピーカーでも、音の振動板が動きやすくできていないと、振動した時の空気の圧力で、音の振動を抑え込んでしまうので、綺麗な音で鳴らないのですが、「密閉型ヘッドホン」は、空間が密閉されているので、「自然な音の広がり」には、圧倒的に不利なのです。
「オープンエアー型(開放型)」は、音が若干外に漏れやすいのですが、「自然な音の広がり」には有利なので、室内で気軽に、いい音で聴きたい場合には、「オープンエアー型(開放型)」がいいです。
後は、「密閉型ヘッドホン」を、室内使用で使った場合には、現在の密閉型は、ほとんど完全に音をシャットアウトしてしまうので、自宅で、介護していたり、病人がいる場合には、「気が付いたら、介護していた両親などが死んでいた」など、悲惨な状態になってしまうので、絶対に、お勧めしません。
周囲の音を、ほとんど完全にシャットアウトしてしまう「完全密閉型ヘッドホン」は、耳に付けた瞬間に、「コンクリートに囲まれた、とても狭い密室に閉じ込められたような錯覚がある」ので、気持ち良く音楽を聴けずに、自然な音の広がりも少ないので、「コンクリートの狭い部屋に閉じ込められた鳥」のような感じで、「自由に羽ばたけない鳥になった気分」になるので、自分は、まず使いません。
「オープンエアー型(開放型)」が、どれ位、音が漏れるのか?と言うと、「電車などで、隣に座った人には、音楽の歌詞の内容が聴き取れてしまう位」ですが、日常使用の音量では、1mも離れれば、ほとんど聴こえない程度なので、外出時に使うのでなければ、「オープンエアー型(開放型)」がいいです。
実は、スピーカーも、ヘッドホンも、各音楽ごとに、ベストな状態の音量というのは、ほとんどピンポイントの1点位しかありません。
音量が、「音場の再現感ピッタリ」にすると、本当に、コンサートホールなどにいるように感じるのですが、実は、この位の音量は、「実際のコンサートホールと同じ位の音量で聞える」という事なので、かなり大きい音量です。
その音量まで上げた場合には、「オープンエアー型(開放型)」が、どの位、音漏れするのか?というと、同じ部屋にいる人は、音楽がわかる程度です。
「オープンエアー型(開放型)」ヘッドホンは、ほとんどミニスピーカーのような状態のものなので、携帯機のMP3プレイヤーとか、スマートフォンとかで、スピーカーのモードで机とかに置いて鳴らしているのと同じ位、コンサートホールと同じ位の音量で聞えるまで音量を上げた場合には、「オープンエアー型(開放型)」は音漏れします。
ただ、普通は、そこまで音量を上げると、耳が痛くなるので、あまりする人はいないはずです。

(5) クラシックを聴くのに適したヘッドホン
「自然な音の広がり」が必要なので、「オープンエアー型(開放型)」や、「コンデンサー型(静電型)ヘッドホン」がいいですが、「クラシックを聴くのに適したヘッドホン」の場合には、インピーダンスという所を見ましょう。
クラシックの場合には、ピアニッシモのような、とても小さな音を、ノイズを少なく聴き取れる能力が必要なのですが、インピーダンスが高いというのは、「ノイズに強い」ので、とても小さいピアニッシモの時に綺麗に聴き取れます。
一方で、「インピーダンスの高いヘッドホン」というのは、「ノイズだけでなくて、全体的に、音が小さくなってしまう」ので、「ヘッドホンアンプ」や「アンプ」は、必ず必須です。
テレビでも、MP3プレイヤーなどでも、「ボリュームは最大で使うと、音は必ず歪んでしまうので、できるだけ中位のボリュームで使いたい」ので、そうやって、「再生する側が、音が歪まない程度のボリューム」にしてから、「ヘッドホンアンプ」や「アンプ」で、音を上げます。
基本的に、ピアニッシモなどの時の音は、デジタル波形では、デジタルのギザギザの数が少なすぎて、きちんと再現できないので、「DAC (D/Aコンバーター)(Digital to Analog Converter)」が必要になります。
「DAC」は、デジタルから、アナログに変換する際の方式や、計算などで、音の特徴が、若干変わるので、これも、好みで選ぶ必要があります。
インピーダンスで気をつけてほしい事は、「インピーダンスが高ければ、とても静かなピアニッシモの曲調の時でも、サーとか、ジーとかいう感じの電気ノイズ的なものは吸収してくれます」が、インピーダンスが高くなるにつれて、全体の音は小さく聴こえるようになります。
全体の音が小さく聴こえるようになると、先程書いたように、テレビなどの元の音量を上げないといけませんが、これが、ある一定を超えるラインから、「音が歪み始める、音が割れやすくなる」のですが、この時に、「クラシックでは、ピアニッシモの静かな曲調から、いきなり強烈に強い曲調などに変化するように、静かな時と、強い音の幅が、一般の音楽よりも、滅茶苦茶広いです」
これが悪さをして、インピーダンス分、音量を大きめにして、「音が歪みやすく、割れやすく」なっている所に、いきなり、クラシックの強い曲調の大音量が入る事になるので、「さらに、音が歪みやすく、割れやすい」という状況に陥ってしまうのです。
このクラシックのピアニッシモの曲調から、強い曲調の全てを、「音の歪みなく、音が割れる事もなく入れる」事は、とても狭い範囲でしか残されていません。
そういったわけで、高級ヘッドホンでインピーダンスの高いものを使って、ピアニッシモから考えてやるよりも、中級ヘッドホンで、ピアニッシモのノイズは犠牲にしてやった方が、気軽に、いい音になりやすいです。(全体の音楽が、音が割れたり歪んだりしないで綺麗に聴こえやすい)
高級ヘッドホンでやるのは、かなり熟練していないと、なかなか綺麗に全部の音を再現する事は困難なのです。
音が割れたり、歪んだりしだすと、音が完全に割れたりしていなくても、「何か、音が垢抜けないというか、はっきりしない、スッキリしない音楽に聴こえます」
なので、少し、音が割れたり、歪んだりする、だいぶ前の余力分が必要になります。

(6) 映画をメインに使うヘッドホン
映画の場合には、「映画館のような迫力のある音(スーパーウーハー的な重低音など)」が再現できるか?、「自然な音の広がり」などが必要ですが、基本的に、室内で大画面で映画を見るような事が多いので、「オープンエアー型(開放型)」が「自然な音の広がり」があっていいです。
「映画館のような迫力のある音」は、「スーパーウーハー的な重低音の再現ができる」などは、映画1本を迫力ある環境で堪能したい場合にはいいのですが、日常使用用だと、けっこう疲れる事が多いです。
日常使用用が必要な場合は、「そこそこいい音で鳴って、耳が疲れない程度」がちょうどいいです。
映画をメインに使うヘッドホンで、「映画館のような迫力のある音(スーパーウーハー的な重低音など)」が再現できるヘッドホンを探している場合には、お気軽に使うならば、「MDR-MA300(ソニー)4935円」で、こだわるならば、「MDR-MA900(ソニー)30975円」辺りが、けっこう、映画館そっくりの音で鳴ります。(どちらかと言えば、「ターミネーター2」的な映画の音の迫力に適した雰囲気だが、人によっては、迫力がありすぎて、怖くなって見るのをやめるレベルかも)
「MDR-MA900(ソニー)」は、標準価格は、けっこうしますが、実売は、15000円位なので、お手頃で、コストパフォーマンスがいいと思います。

(7) 一般的な音楽を聴くヘッドホン
一般的な音楽を聴くヘッドホンの場合には、中高音域が小さすぎるヘッドホンだと、ボーカルが聴こえません。
先程のような「映画館のような迫力ある重低音が出る」ヘッドホンは、音のマスキング効果というものがあって、「強い音が出ていると、他をマスキングしてしまって、他の音があまり聴こえなくなってしまいます」
ですから、「バランス良く、全ての音域の、高音、中音、低音域が出る」、「自然な音の広がりがある」事が大切です。
最近は、「重低音が出る」とかいうタイプのヘッドホンが多いですが、マスキング効果が強く出て、肝心なボーカルが聴こえなくなったり、このマスキング効果が出たり消えたりしやすい音楽のポイントとなる、重低音が出たり消えたりした瞬間に、「ボーカルなどの中音域の音などが、ボワンボワンと、大きくなったり小さく聴こえたり、変な音圧の流れが出やすくなる」ので、とても変に聴こえるので、重低音が出るタイプのヘッドホンはお勧めしません。
安いヘッドホンの場合には、「人間の耳は、高音と、低音が聞き辛い」という特徴があるので、「高音と低音だけ、強引に持ち上げた、いわゆる、ドンシャリ型の音になるヘッドホンは、音楽を聴くのには最悪なので、お勧めしません」
昔のソニーのMDの圧縮方式が、残念ながら、「ドンシャリ型」なので、MDで記録してあるものは、聴かない方が、耳を鍛える為にはよく、できるだけ、「バランス良く、全ての音域の、高音、中音、低音域が出る」というものを聴き続けた方がいいです。
「音の解像度」、「分解能」の高さなどは、一般的な音楽を聴く場合には、前に書いた「音の調和である、ハーモニーやシンフォニーという音楽の基本の状態が生まれづらい」ので、「音の調和が乱されたズタズタで、バラバラに音が鳴っているように聴こえる」ので、「音の解像度」、「分解能」が高すぎるヘッドホンは、「心地良く感じる音楽として聴けません」
むしろ、昔のように、それほど、「音の解像度」、「分解能」が高くなく、「うまい具合に、音が調和して聴こえて、ハーモニーやシンフォニーという音楽の基本の状態が再現できた方が、聴いていて心地良い音楽が鳴ります」
昔の時代には、ヘッドホンや、スピーカーの設計は、実際に人が聴いて「心地良く感じる」ように設計されていたのですが、最近では、「音波や波形を計測する」事に主眼が行き過ぎていて、「心地良く聴こえる」ヘッドホンなどは、かなり少ないです。
要するに、エアコンの設計でいえば、「体感温度で設計する」事と、「温度計で設計する」事の違いのようなエンジニアリングの設計の間違いの違いが起きてしまっています。
最近のヘッドホンのように、「音の解像度」、「分解能」が高めだと、どのように聴こえるのか?というと、「ハーモニーやシンフォニーという音楽の基本の音の調和の状態が起こらない」ので、例えば、「ある音楽の中で、いきなり、小学生や、中学生などが、カンペンなどでカンカン叩いたような感じで、そこだけ、音楽の中から分離して聴こえて、とても不自然な違和感のある”音に調和(ハーモニー)がない”演奏として聴こえて、耳障りになる音楽として聴こえます。解像度や分解能が高いと、それぞれの楽器が、バラバラな中学生が叩いているような不自然な調和の無いバラバラに分離して聴こえて、とてもよくないです」
そういったわけで、「一般的な音楽を聴くヘッドホン」の場合には、「音の解像度」や「分解能」は、それほど高くなく、むしろ、「解像度が低くて、音が全体的に調和してくれる」方が、心地良い音楽が鳴るヘッドホンです。
最近、「高級ヘッドホンを買ったのに、何か、違和感がある。とか、むしろ、昔の方が綺麗に音楽が聴こえていて良かった」と感じる人が多いのは、ここら辺が原因です。
後は、聴く人それぞれの音楽の好みで、全然、選ぶヘッドホンやスピーカーは変わるので、例えば、「ロック」と「クラシック」では全然違うし、「ドラム」なんかが、心地良く鳴るものも違います。
「ドラム」が心地良く鳴るには、「ドラムを打った瞬間に音が鳴って、小気味よく、音が消えた瞬間に消えてくれる」事なのですが、その為には、「密閉型」ヘッドホンのように、振動版が、空気が密閉されている関係で、空気の圧力ができてしまう分、密閉型ヘッドホンは、「ドラムの音が消えた瞬間」の後に、若干のタイムラグとかができてしまって、ボワンボワンしがちなので、「ドラムが心地良く鳴りません」
解像度や分解能が高いと、ドラムはスピード感があって心地良く鳴りますが、前に書いた通り、「ドラムだけ浮いている演奏」や、「小学生や中学生が、バラバラに楽器を演奏しているように聴こえる」ので、全体の音楽として聴くと、かなり変に分離した感じに聴こえるので注意しましょう。

(自分が今回買ったヘッドホン)
今回の自分の目的は、「聴き慣れていたヘッドホンに近いものを探す」なので、これが、思った以上に大変でした。
「いい音で鳴る」のは、けっこうあるのですが、「聴き慣れていた好みの音に近い音で鳴る」のは、なかなか見つからなかったのです。
まず、自分が長年使い続けていて、今回壊れてしまったヘッドホンは、「MDR-CD570(ソニー)」で、頑丈だったので、15年以上使っていたのですが、ついに、ケーブルが内部で断線してしまったようで、音が途切れてしまうようになってしまったので、これに似た音質のヘッドホンを探す事にしました。

(「MDR-CD570(ソニー)」の特徴)
「MDR-CD570(ソニー)」は、中級ヘッドホンで、価格は、7700円でしたが、当時、自分が組んでいた20万円位の単品コンポと、ほとんど同じ音で鳴ったので、気に入って、ずっと使い続けていたヘッドホンです。

(「MDR-CD570(ソニー)」のスペック)
密閉ダイナミック型
振動板 40丱鼻璽犒
インピーダンス 40Ω
再生周波数帯域 5〜30000Hz
許容入力 500mW
感度 106dB/mW

「密閉ダイナミック型」なのですが、20年位前に発売された機種なので、今ほど、密閉感がなくて、外の音も聞こえるので、荷物が届いたり、電話が鳴ってもわかるので、「日常使用用のヘッドホン」として、とても使いやすかったです。
音の特徴は、
・「音の自然な広がりがある」
・「高音、中音域が綺麗」
・「長時間聴いていても、耳が痛くならない」
・「ゲームなど、少しアタック感の強いパンチの効いた音が綺麗に出るが、8時間とか、長時間ゲームプレイしても、まったく耳が痛くならない」
・「頭に載せただけで、自然な位置にくる気軽に使えるヘッドホン」
とか、今からすると、奇跡のようなヘッドホンで、これの替えになるヘッドホンが、全然見つからなかったのです。
自分の場合には、ゲーマーなので、「長時間ゲームでも、耳が全く痛くならない」、「深夜アニメを気軽に高音質で見れる」とかいう用途が主な物です。

(昔、自分が使っていた単品コンポの組み合わせ)
・AVアンプ(AVX-1000DSP (YAMAHA))(138000円)(発売1993年)
・スピーカー(LS-11EX (ケンウッド))(60000円)
(コンパクトサイズなのに、パワフル。当時は、スピーカーは大型でないと基本的には、低音は物理的に出ないので大型スピーカーの時代でしたが、当時の大型スピーカーは高さが1m位あって部屋に置けない規模でしたが、これは、ブックシェルフ型といって、本棚に入る中位のサイズなのに、パワフルな音が出ました。スピーカーは、本棚に入れると、不自然な共鳴などが起こるので、本棚に入れて使用してはいけません)
・スピーカーケーブル(アートリンク(ART LINK)シリーズ AT6S40(オーディオテクニカ))(1mで、1900円)(発売1992年)(音にスピード感があり、パワフル)
・オーディオケーブル(ストレスフリーケーブル 6N-A2050 (ACROTEC))(音のスピード感が半端無い)

という感じで、かなりのゲーマー仕様で、ロック的なパワフルな音が出るように組んでいきました。
この時の1番のお気に入りだったのは、オーディオケーブルの(6N-A2050 (ACROTEC))で、物凄くスピード感の出る音が出ました。
この自分の組み方は、かなり個性的な音のはずで、とにかく、「パワフル、音のスピード感が半端無い」という感じで、ゲーム仕様で、ゲームをするのに心地良い設定です。
この組み方の基準になったのは、まず、AVアンプを、各ゲーム機をたくさんつないだセレクター的に使っていたのが最初です。(しかし、映像ケーブルと音のケーブルは、ノイズ的に相性最悪なので、最終的には、セレクター的な使い方はやめた)
次に、最終的には、「ダライアス外伝」と「Gダライアス」の音楽が、無理なく、きちんと鳴る事が当時の最後の目標でした。
ゲームミュージックというのは、「ただのゲーム」的にしか思われないのですが、当時は、初代ファミコン型のスプライトでキャラクターを動かしていたタイプのハードの最終形態で、この後に、ポリゴンの時代になってしまうのですが、その最後に、アーケードゲームでできた基板が、「ダライアス外伝」や「XEXEX」の時代だったのですが、今から思えば、当時のゲームセンターの基板というのは、「専用音源」を載せている豪華な物だったのです。
それで、この「ダライアス外伝」、「Gダライアス」なんかの音は、普通のコンポでは、完全に再現できない特殊なものだったので、えらい苦労をして、自分が組んだのが、この結果となって、とてもいい出来で、無理な負荷もなく、完全に音が再現できます。
クラシック専門で、単品コンポを組んでいる人でも、なかなか、「ダライアス外伝」、「Gダライアス」の音が、無理な負荷なく完全再現できる事は、かなり難しいはずです。
決め手となったのは、オーディオケーブルの(6N-A2050(ACROTEC))で、これをつなげば、きちんと組んでいる単品コンポの場合には、「ダライアス外伝」、「Gダライアス」がきちんと再現できて鳴ります。
また、これで、クラシックを聴いた場合には、「音のスピード感が、桁違いに早い」ので、「とても緊迫感、緊張感のある演奏」の雰囲気に聴こえて、背筋を伸ばすようなクラシックコンサートに行った気分になります。
当時は、アナログの時代だったので、アナログは、頑張らないと、全然、音質も画質も上がらない時代だったので、かえって良くて、いろいろと審美眼が鍛えられました。
この単品コンポの組みの音に、「MDR-CD570(ソニー)」の音は、だいぶ似ていて、聴き慣れていて、気に入っていたヘッドホンだったわけです。

それで、いろいろと試聴して、結局新しく買ったヘッドホンは、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」でした。

(「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」のスペック)
買った値段 6980円
オープンエアーダイナミック型
ドライバー 53
インピーダンス 48Ω
再生周波数帯域 5〜25000Hz
許容入力 500mW
出力音圧レベル 100dB/mW

今売っている、そこそこいいヘッドホンの多くは、ヘッドホンアンプが無いと、中高音域の音量が、だいぶ小さくて、肝心な、ボーカルの中音域が、あまり聴き取れないものが多かったのですが、試聴できた中で、アンプなしで気軽に使えて、唯一、高音、中音、低音の全てが、バランス良く聴き取れたのは、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」だけだったので、これを買いました。
音の雰囲気は、「MDR-CD570(ソニー)」に似ている感じですが、70%位似ている程度です。
1番似ている点は、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」も、頭に載せただけで、自然にいい位置にくるし、物理的に耳を圧迫しないので痛くないので、日常使用用ヘッドホンで、とても気軽に使える事です。
「MDR-CD570(ソニー)」の方が、全体的に、聴き心地がよくバランスのいい音が鳴りますが、スペック的には、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」の方が、「音の解像度」や、「分解能」は高いです。
「音の解像度」や、「分解能」が高すぎると、「耳障りな音」になりがちですが、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」は、度を越えて解像度が高いわけではないので、「MDR-CD570(ソニー)」が、少し解像度が高くなった雰囲気です。
ただ、音の解像度が上がると、「元の音源の状態が正確にわかるようになる」ので、例えば、昔のアーケードゲームとかは、筐体の位置に、スピーカーが取り付けられてある関係で、昔のゲームミュージックなんかを聴くと、昔は聴き取れなかったような違いが聴き分けられるので、「変な位置から極端に強い音がいきなり鳴っている」など、だいぶ不自然な現象が起こるので、むしろ、「解像度」や「分解能」は、かなり低い方が自然な雰囲気になります。
ただ、よくない点としては、「音圧的な耳が痛くなるヘッドホン」なので、2時間が限界で、それ以上使うと、たぶん難聴になってしまう位、かなり耳が痛くなります。(自分は音量はあまり上げないが)
もともと、自分が長年使っていた、「MDR-CD570(ソニー)」が、ゲーム用で、けっこう、パンチの効いた音が出ていたので、それに似た音質を探すと、こういう結果になってしまうようで、なぜ?「MDR-CD570(ソニー)」は、「8時間とか、ほとんど連続で使用していても、全く耳が痛くならなかったのか?」など、けっこう、「MDR-CD570(ソニー)」は、日常使用用のヘッドホンとしては、凄かったんだなぁと実感しました。
「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」は、エージング期間は、普通に日常使用して、1週間位から音が変わりはじめて、2ヶ月位で、だいぶ自然な音の広がりになります。
エージングが進むと、無理な振動板の硬い反発が無くなってくるので、若干、耳の音圧的な痛さは減ります。
今、聴いた中では、昔のゲームの「蒼穹紅蓮隊(1面と2面の曲)」だけは唯一、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」の方が綺麗に聴こえますが、他のほとんど全ては、「MDR-CD570(ソニー)」の方が綺麗に聴こえます。
長時間聴かないのであれば、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」も、けっこうバランスがよく、自然な音の広がりもあって、いい音で鳴るので、自分は気に入って使っています。
古いヘッドホンが壊れて、「聴きなれていた音が、この世から消える」と、けっこう悲しいものですが、似た雰囲気の音で鳴るヘッドホンが見つかってよかったです。

(エージングについて)
エージングというのは、スピーカーや、ヘッドホンというのは、振動板が自由に動いた方が自然な音が再現されるのですが、買ったばかりの状態では、振動板が、まだ硬いので、本調子が出ないので、少し音を出して使う必要があるのです。
要するに、振動板の「ヘタレ」具合の事ですが、エンジンが温まるような感じの事です。
音を出すという事は、空気に音波が伝わっていく事なので、理想の振動板としては、空気のような状態がいいのですが、物質的な物がある以上、限界があって、振動板は「ヘタレ」具合が進むほど、自由に動けるようになるので、空気に近くなっていいのですが、一方で、「ヘタレ」が進むと、「音にパンチがなくなる」、「まろやかになる」という感じです。
基本的に、クラシックなどを聴く場合には、「音がまろやか」とか「しっとりとした音」の方が、自然に聴こえていいので、けっこうヘタレたスピーカーや、ヘッドホンの方が、しっくりきます。
エージングが少なく、「ヘタレ」が少ない状態だと、振動板が急に反発したりして、「キンキンした音になる」とかしやすいわけです。
10年以上使っているスピーカーや、ヘッドホンでは、「音がとてもまろやかになっているので、聴きやすい」事が多いです。
基本的に、「ヘタレ」るという事は、老化していく(エージング)という事なので、あまり進まない方がいいような気もしますが、日常で使用している場合には、20年位使っていても、それほど気にならない程度なので、エージングで劣化し過ぎる事は、あまり気にしないで使って大丈夫です。
音楽などの業界の用語では、「エージング(熟成する)」のような意味合いで使われます。
今回の場合には、「クリエイターの耳を鍛えよう」というテーマで書いていたので、エージングでは、買ってすぐに、大きめな音で、自分では聴かないで放っておく方法もありますが、「日常で普通に使用していって、どのように、エージングが進んで音に変化が出ていくのか?について、聴き取ってみるトレーニングをする」事をお勧めします。
2ヶ月位、日常使用のエージングで変化していく様子がわかったら、少し大きめな音量にして、自分では聴かないで、CD1枚分位を、ヘッドホンに聞かせる方法で、エージングをしてみましょう。
基本的に、エージングの具合は、「ヘッドホンに流した音楽の特徴に似たものから、ヘタレ具合が進むので、音質が良くなります」
要するに、ロックならロックの、クラシックならクラシックの音域の特徴があるので、ロックをよく聴く人は、「ドラムなんかの音のエージングが先に進むので、自分が聞いている音楽から先に、いい音になる特徴があります」
なので、ヘッドホンに聞かせる音楽は、「できるだけ、いろいろな特徴の違う音楽を流した方が、バランスよくエージングが進みます」
いろいろやって、細かい音の変化が少しずつわかってくると、「モニタリングヘッドホン」を使って、とても細かい微調整をしながら、音楽制作などができるようになる耳になってきます。

(高級ヘッドホンを買ったのに、いい音で鳴らない場合)
高級ヘッドホンを買ったのに、いい音で鳴らない場合には、いくつか原因があります。
基本的には、「聴きなれている音」が1番綺麗に聴こえる錯覚があるので、しばらく聴き続けて、新しいヘッドホンや、スピーカーの音の雰囲気に、耳が慣れてくると、実は、けっこう綺麗に聴こえる事があります。
特に、買い替えの場合には、聴きなれている音に耳が慣れてしまっているので、古い方がよかったなぁと感じる事も多いですが、実は、新しい方が、当然、それだけの年月分の技術推進があるので、本当のスペックも音質も数段上の事があります。
こうした錯覚には注意をしましょう。
次に書く事は、きちんと原因がある場合です。

(1) 音が小さく感じる
高級ヘッドホンの多くは、クラシックなどで、ピアニッシモの所で綺麗に聴こえるようにするために、低ノイズにするために、インピーダンスが高めになっています。
なので、音量は、かなり上げないと、聴きたい音量にならない事が多いです。
しかし、テレビなどのボリュームは、音量を全開に近い状態で使うと、音が歪みます。
なので、基本的には、ヘッドホンアンプか、アンプが必要になります。
音が歪まないように、テレビなどの再生する側の音量は、中位にして、後は、アンプで音を上げるようにします。
ただ、アンプが無くても、普通に鳴るために、「ヘッドホンアンプ必須」などの表記は載っていない事が多いです。

(2) 音がキンキンなど特定の音だけ分離して耳障りに感じる
これは、モニタリングヘッドホンなど、音の解像度や分解能が高すぎるヘッドホンを使った場合です。
モニタリングヘッドホンは、「通常の音楽を心地良く聴く目的で作られていなくて、主に、プロのプロデューサーなどがノイズチェックをしたり音の微調整の為に使う物」なので、一般の人が音楽を聴く場合に買うのはやめましょう。
また、最近のヘッドホンの多くは、音の解像度や分解能が、だいぶ高めに作られています。
どうしても、そのヘッドホンを使いたい場合には、「エージングが進む」と、若干だけ、耳障りな音の感じは減ります。
他の1番の原因は、「DAC」を使っていない事です。
解像度や分解能が高いヘッドホンは、「直接の入ってきた音を、正確に再現できる」ので、「デジタルデータのように、ギザギザが多いデータで、物凄く小さい音などは、デジタルデータ部分が少なすぎて、ガタガタのデジタルな矩形波に近い状態に、アナログ化されてしまっています」
これが原因で、解像度の高いヘッドホンでは、そのデジタル的なガタガタなアナログ波形を、そのまま忠実に再現してしまうために、「特定の音だけ、キンキンしたり耳障りになる」現象が起こります。(要するに、パチッという感じで、いきなり矩形波に音が持ち上がって、はじけたような音になってしまったりしている事が多い)
いい「DAC」を使えば、物凄く小さい音などで、デジタルデータ部分が少なくても、かなり滑らかな状態に再現してくれますので、うまくいけば、耳障り感は、だいぶ減らす事はできます。
しかし、「DAC」の仕組みや、計算の仕方で、音のクセが変わってしまうので、どの「DAC」を使えば、自分の好みの音に近くなるのか?は、各個人で好みの音が違うので、自分で聴いていろいろと試してみるしかありません。

(3) 中音域が聴こえづらい、ボーカルが、とても小さくしか聴こえない
これは、マスキング効果の影響で、「重低音」重視のヘッドホンや、安いヘッドホンで、「高音と低音だけ持ち上げてある、ドンシャリとした音の聞こえ方をするもの」を使ってしまうと、そうなります。
ドンシャリというのは、そのまま音の擬音語で、「ドン(低音)」、「シャリ(高音)(ヘッドホンから漏れる高音が、シャリシャリ聴こえるから)」で昔から使われていますが、理由は、「人間の耳は、高音と低音が聞こえづらい特性から、一時期のメーカーが、高音と低音を強引に持ち上げたヘッドホンを作った時期があって、その音を聴いた人が、ドンシャリと歪んだ音がすると表現する事が多かったからです」
残念ながら、今でも、ドンシャリ型のヘッドホンが作られているままですが、これは、イレギュラーな方法で、正確な音楽が聴けなくなるし、耳に変なクセがついてしまうので、審美眼的な耳を鍛えたい人は、ドンシャリ型のヘッドホンは、絶対に使ってはいけません。
マスキング効果というのは、「強い音が鳴っていると、他の音が聴こえ辛くなる事」ですが、これの特徴は、「実際の音の波形的には、他の音も出ているので、人間の耳に聴こえる時の錯覚のたぐいである」事です。
なので、エンジニアリングの失敗設計の事なのですが、要するに、「エアコンの設計で、体感温度を無視して温度計の数値だけで作ったら、熱中症患者が大量に出た」というような設計ミスが起きているという事ですが、残念ながら、最近のオーディオメーカーの設計は、「人間の体感」を無視して、「波形の数値のみを見て設計している」失敗をしてしまっている事が多いので、「聴いても心地良く無い」というものが多くなってしまっています。
わかりやすい例で書けば、マスキング効果では、重低音重視のヘッドホンで「低音が出たり消えたりする音楽などの場合に、マスキング効果が非常に悪さをして、中音域のボーカルなどの音量が、ボワンボワンと大きくなったり小さくなったり、変に聴こえる事があります」
要するに、本来のエンジニアリングの設計では、こうした変な「体感的な錯覚が起こらない」ように、うまくバランスを考えて、「高音、中音、低音域」のバランスに設計しないと失敗なのです。
さらに、変な設計を考えたがる人は、マスキング効果で、中音域が大きくなったり、小さくなったり錯覚が起きるのならば、逆算して、強引に、錯覚分を中音域に加算、減算すればよいとか無茶苦茶な事をしてしまうと、人間の耳の特性は人それぞれバラバラなので、よけいに変になってしまいます。
要するに、「高音、中音、低音域」のバランスを適正に設計する事が大事なわけです。

(4) 音に腰がない
「音に腰がなくて、ヒョロヒョロした音に聴こえる」のは、MP3プレイヤーとか、スマートフォンとかから聴いている場合です。
基本的に、高級ヘッドホンなどは、CD以上の音質でないと、あまり本領を発揮できません。
また、携帯機のバッテリーなどのように、弱い電気でも、ほとんど本領を発揮できません。
他の原因では、「無線型ヘッドホンを買ってしまった」とかいう場合で、「無線型ヘッドホン」は、圧倒的に音質が下がってしまうので、「ケーブル接続方式のヘッドホン」を買いましょう。

(曖昧なオーディオ用語の意味)
まず、「オーディオ用語」の中でも、「オーディオ評論家の表現」とか曖昧な用語がけっこうあります。
もともと、「音」に関する事を、「文字」で表現するわけなので、いろいろと無理があって、けっこうアバウトで曖昧な所もあるので、難しい所です。
オーディオ用語は、「定位」とか正確に定義できる用語も多いですが、ここでは、最近使われているような曖昧な表現について書いていきますが、けっこうバラバラに使われている状況なので、とても曖昧だという事は把握しておきましょう。
以下に書くのは、「最近使われている曖昧なオーディオ表現の観察や考察」程度のものと考えて読んでください。

・「音の解像度(解像感)が高い」、「音の分離感がよい」、「分解能が高い」
「音の解像度が高い」、「分解能が高い」のこの2つは、昔は無かった表現で、使い方が人それぞれバラバラな状況です。
しかしながら、最近のメーカーのヘッドホンや、スピーカーのカタログには、「音の解像度が高い」、「分解能が高い」と普通に使っています。
また、オーディオ雑誌の記事でも普通に使っています。
この2つを、まったく同じ意味で使っている事もあるし、区別して使っている事もあります。
もともとは、オーディオマニアが、「モニタリングヘッドホンって何?」とかいう質問の時に、「普通のヘッドホンよりも、解像度や分解能が高いヘッドホン」とか説明で使ったりしていたようですが、感覚的な使い方なので曖昧です。
大体は、次のような感じで、ニュアンス的には、例えば、何かの楽曲があった場合には、「同時に、いろいろな楽器が鳴っています」が、そういった、いくつもの音が同時に鳴っていても、きちんと何の楽器が鳴っているのか?などを判別して聴き分けられるという意味です。
これらの単語には、次の意味が含まれる事が多いですが、

(1) 「音楽を収録した元の音の場所で、音楽が鳴っている空間全体の中から、それぞれの楽器やノイズの位置などが、きちんと特定して判別できる能力。何の楽器が鳴っているか?とかの判別だけではなくて、楽器の数や位置以外に、どこでノイズが鳴ったか?まで聴き取れる目的で使うのが、モニタリングヘッドホンです。通常は、マスキング効果で、演奏中の背後の音は、普通のスピーカーやヘッドホンでは聴き分けられませんが、例えば、演奏中の背後の遠くで、踏み切りや自動車の音が鳴っているとか、そういうノイズまで聴き取れます。要するに、その音の中に含まれている全ての音を、聴き分けられて判別できるという事です」

(2) 「例えば、ある楽器では、特に、アナログの楽器の場合には、手の力の入れ具合で、とても微妙な音の違いが出ますが、こういった1つの音から、その違いの細かさを聴き分けられる能力。例えば、ギターで、ドの音が出ている事しかわからない事と、微妙に変化した事をきちんと聴き分けられる事が違うという感じです」

ただ、「分解能」の方は、「DAコンバーター」などの設計者のエンジニアリングの方で使われていた用語のようで、「アナログ-デジタル変換」、「デジタル-アナログ変換」をするという事は、アナログの元の音源の本物の音があって、それを、サンプリングでデジタル化してから、また、アナログに戻して聴いているわけですが、この「アナログ→デジタル→アナログ」に戻した時に、本当の元の音に含まれていた音が、デジタル→アナログ変換後に、どこまで、細かく検出できるか?という事を、エンジニアリングでは「分解能」といっているようです。
エンジニアリングの場合には、例えば、24ビットを使えば、何Vまでが判別可能なので、24ビットの方が分解能が高いとかそういう書き方です。

最近のオーディオ雑誌では、(1)と(2)を含めて、「音の解像度(解像感)が高い」と書いている事が多いです。
(1)と(2)は、そもそも同じような能力なので、片方を上げると、もう片方も自然と上がってしまう事が多いわけですが、人によっては、(1)の能力と、(2)の能力は、別の単語で区別するべきと考える人もいます。
それで、(2)の方を、「分解能」と分けて表現している人もいますが、「分解能」を(1)の意味で使っている人もいて、バラバラです。
メーカーカタログなどでは、「分解能」は、「微小な小さな音やニュアンスの検知限界」と書いてある事があります。
要するに、「聴いている波形の細かな波の具合の変化を、どこまで細かく聴き取れるか?」を「分解能」と表現している事があります。
「分解能」の方だけで、(1)と(2)を含めて書いてある事があります。
この「音の解像度」と「分解能」という単語の定義は、バラバラに使われている状況で、オーディオ雑誌やメーカーカタログなどでも、使われている時期によって、表現に含まれている意味が変化している状況なので、とても曖昧な状態です。
昔のオーディオ雑誌では、この「音の解像度」と「分解能」は、(1)でも(2)でもない別の事を指して使っていた事があります。(オーディオ雑誌でも時期によって、どんどん変化している。今現在は、メーカーカタログの影響などで、(1),(2)の使われ方が多くなっている)
例えば、「分解能」を「聴いている波形の細かな波の具合の変化を、どこまで細かく聴き取れるか?」という意味で使った場合には、その結果として、「解像度」=「音の中から含まれている楽器やノイズの種類を分離して判別できる」事が起こるので、結果的に、同じ事を意味している状態になってしまっているのかもしれない。とか、いろいろな意見があります。
要するに、「オーディオ雑誌のオーディオ評論家」、「メーカーのエンジニア」、「オーディオマニアの一般の人が表現した内容」が、それぞれ、バラバラに使っている状況です。

・「音の立ち上がりが早い」、「アタック感がある」
主に、ドラムなんかの場合には、「実際に、ドラムの音を叩く瞬間」と、「スピーカー、ヘッドホンなどで再現されて聴こえる瞬間」には、振動板の物理的な原因で、タイムラグが生じてしまいます。
スピーカーや、ヘッドホンの振動板は、電圧がかかってから動いて、しかも、振動板の特徴で、ボワンボワンとゆれています。
「音の立ち上がりが早い」、「アタック感がある」という状態は、「実際に、ドラムを叩いた瞬間」に近い位、早くスピーカー、ヘッドホンなどで再現されて聴こえると、タイムラグが小さいので、心地良いドラムの音となって、「アタック感がある」とか書かれるわけです。

・「音にスピード感がある」、「音に切れがある」、「音の抜けがいい」
これは、「音の立ち上がりが早い」、「アタック感がある」の逆側で、「ドラムなんかの音が発生して終わる時」の方の早さで、スピーカーや、ヘッドホンの振動板は、ボワンボワンと揺れていますから、これが、きっちりと止まってくれないと、「ボワンボワンして締まりの無いドラムに聴こえる」わけです。
実際に、ドラムを叩いた瞬間に近い状態で、タイムラグが少なく音が始まって、スピーカーの物理的な特性で、ボワンボワンと揺れている時の状態が短くて、きちんと、音の終わりが表現できている事の2つが、きちんと再現できていれば、「音にスピード感がある」と表現されます。
「音に切れがある」、「音の抜けがいい」の2つは、「音の終わり際が、スピーカーの振動板がボワンボワンといつまでも揺れておらず、きちんと早く終わる」事です。

(エージング安定期後の感想)(2016年1月20日追記)
買ったヘッドホンの「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」も、1年位使って、エージングが安定した音質になってきたので、このヘッドホンのエージング後の音質について追記しました。
自分の使用環境は、ほぼ毎日、2時間位常に、ヘッドホンで音を流して聴いているような位のエージングです。
買ってすぐと、年間に数回位、エージングを進ませる為に、若干音量を大きめにして使った事はあります。
まず、買った直後は、振動版が硬くて無理な反発があったので、連続で、聴いて1時間30分位から耳が痛く感じるので難聴の心配をしていたのですが、エージングが安定期まで進んだ現在では、難聴の心配は無くなって、ほぼ毎日2時間位、1年間使ってきましたが、耳が痛く感じる事はなくなりました。
エージング後は、音の傾向が若干変わって、ヘッドホンの場合には、日常使用してエージングの安定期に入った時の音質の傾向が、本当の、そのヘッドホンの音の傾向です。

(「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」のエージング後の音の傾向)
再現度を、100点満点で書いていくと(80点以上が高音質の基準で)
和太鼓(100点)
大太鼓(100点)
アコースティックギター(アナログのギター)(95点)
普通の人間のボーカル、アニメなどの声優の声など(85点)
ゲームプレイ(85点)
ピアノ(65点)

<ゲームの曲>
STEINS;GATE(98点)
蒼穹紅蓮隊(1面と2面の曲)(95点)
ぐわんげ(82点)
G-DARIUS(65点)(G-DARIUSは、完全に音質の再現が難しい楽曲の例で、自分が、チェックに使っている)

まず、解像度が若干高めのヘッドホンは、買った直後は、各楽器の音が分離し過ぎていますが、エージング後になると、その分離した楽器の個々の音が、何と言うか、トウモロコシの粒のように若干分かれたまま、ちょうどいい具合に、まろやかになってきて、分離しているのですが、音が粒立つというか、そういう雰囲気になってきて、ちょうどいい感じです。
「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」のエージング後の音の傾向は、「アナログの音」の再生が、非常に良くて、特に、「和太鼓」、「大太鼓」の音の再現性は凄いのですが、これは、振動版が大きいからかもしれません。
また、アナログのギターである、アコースティックギターの音の再現度も、けっこう凄くて綺麗に聴こえます。
「普通の人間のボーカル、アニメなどの声優の声など」も、かなり綺麗に再現できます。
要するに、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」は、アナログの音や、アナログの楽器の音の再現性に、かなり優れています。
また、音の厚みがかなりあって、自分が、前に使っていた「MDR-CD570(ソニー)」もそうでしたが、自分が探していたヘッドホンの音質の個性として求めていたのは、「音に厚みがある」事ですが、各個人個人で求める音質のクセがあるわけです。
自分の場合には、「音に厚みがある」ヘッドホンは、ゲームプレイに最適だからです。
「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」で、メインの楽器の再生で、あまり得意ではない楽器が、ピアノの音で、若干、無理がかかったような音で、ピアノが綺麗に抜けが良く再現できるヘッドホンだと、クラシック向けにも使えていいのですが、ピアノは、昔から、音質チェック用に使われる楽器の代表例で、テレビならば「肌色の再現」、音ならば「ピアノの音の再現」が綺麗にできる所が、エンジニアが、まず目指す所です。
ただし、ピアノ以外の楽器ならば、「ATH-AD500X(オーディオテクニカ)」は、アナログの楽器や、ボーカルの音質の再現性は、もの凄く再現性が高いので、ギターや、ボーカルがメインの曲や、「アニメ、ゲーム用」の普段使い用のヘッドホンとして使うのならば、かなりお手軽に高音質の再現ができるヘッドホンだと思います。
ただし、オープンエアー型ヘッドホンなので、エロゲで使うと死亡率高し、といった感じですが、1度、オープンエアー型の音の抜けの良さを体験してしまうと、もう、密閉型のヘッドホンには戻れません。

| クリエイターの思想、哲学 | 17:13 | - | - | -
クリエイターについて(アイデアが出ない、目や耳を鍛えよう)

 最近気がついた事は、初心者クリエイターの1歩手前でも困っている人がいるようなので、1人でも多くの人に創作の楽しみを知ってもらおうという事で、少し書いてみようと思います。
まず、「アイデアが出ない」、「何を作ったらいいのか?わからない」という人は、
(1) 「いろいろな物を見る、体験する」
(2) 「目や耳を鍛えよう(審美眼)」
という所で、つまづいてしまっていると思われます。

まず、「アイデア」というものは、何も無い所からは何も出てきませんから、頭の中に、いろいろと見たり聞いたりして、体感して感動したものがないと出てきません。
天才だから、ポンポン、アイデアが出るとかではなくて、実際には、いろいろと「体験」していないと、何も出てこないわけで、「体験度合い」が多い人ほど、アイデアが出やすくなります。
自分は、比較的、どんどんアイデアが出てきますが、それは、積極的に、いろいろな物を見たり聞いたりして、「目や耳を鍛えよう(審美眼)」という事を、ずっとやっているからで、この「目や耳を鍛えよう(審美眼)」という事は、美術の基本だからです。
人間は、生まれてきた直後は、脳の中は、ほとんどまっさらな状態ですから、その後、どれだけ「体験」したか?によって、アイデアも、インスピレーションも出やすくなります。
また、3DCGのツールなんかを扱えるか?どうか?の問題は、どうも、「目をつぶって、頭の中で、立方体をクルクルと回すイメージをする事ができるか?」のような所で、脳の3D空間の把握能力はわかるようです。
これも、生まれつきのセンスではなくて、人間が生まれた後の体験によって鍛えられるものです。
自分は、3DCGのツールなんかは、適当に、全部のボタンをいじっている間に勝手に覚えていってしまいますが、こういった能力が備わるのには、どうも、子供の頃からの物事の体験の仕方にあるようなので、自分の体験の例で書いていきます。
「目をつぶって、頭の中で、立方体をクルクルと回すイメージをする事ができるか?」は、右脳トレーニングですが、子供が生まれた直後のまっさらな状態のままでは、なかなか育ちません。
自分の場合には、まだ子供の頃には、テレビゲーム自体が、この世に無い時代だったので、外で走りまくって遊んで、実際の物を見て「体験していく」事が多い時代で、他に、遊ぶのは、幼稚園位の時は、ブロックや折り紙が好きで、小学校は、プラモデルが好きで、中学校、高校は、パソコンのプログラムが好きで、大学の頃は、電子工作なんかをやっていて、他には、単品コンポを組むのが趣味でした。
自分は、基本的に、興味を持った事は、何でも、どんどんやっていくので、次第に、広範囲の知識を持つようになっていったようです。
昔は、今と違って、「子供は遊ぶ事が仕事」という教育方針だったので、要するに、「子供がまだ小さいのに、ペーパーテストで文字で覚えさせても役に立たんだろう。実際に体験させるのが1番手っ取り早い」という考え方です。
なので、自分は小学校の時は、必ず、外で走りまくって遊んでいて、実際に、いろいろと「体験」していたので、「文字だけの学習」よりも、より深く物事を知っている事ができたわけです。
とにかく、いろいろと「体験」した量で、アイデアなどの脳の部分は育ちます。(文字だけで覚えても、ほとんど役に立たない)
文字だけでなくて、「体得する」事が、本当の力になります。
「体得する」事は、実は、けっこう難しいのです。
「目をつぶって、頭の中で、立方体をクルクルと回すイメージをする事ができるか?」とか、「IQテストの隠れた箇所のブロックの数を答えなさいなんかの、立体把握能力テスト」の能力が育つのは、幼稚園位の時のブロック遊びで鍛えられたようで、その後の、プラモデル制作で、「3DCG空間の複雑な形の物体把握能力が高まった」ようです。
子供の時代の遊び方も、人それぞれですが、自分の場合には、他の人と1番違うのは、通して、「自分自身で自由に作る、創作自由度の高い遊び」ばかり、どうもやっていたようです。
なので、アイデアは、ひねって出さないと物事が進まない事を体験して知っているので、アイデアが出るようになったようです。
もう1つは、「創作自由度の高い遊び」ばかりをやっていると、何かの物事が起きた時に、常に、「もっと良くなる方法がある」と模索して考え続けるクセができてしまっているので、「常に、立ち止まらないで、いろいろと未来が広がるように考えるクセ」がついているようです。(要するに、妥協しない)
普通の人は、「とりあえず動いたら終わり」にしますが、自分は、「常に、もっとよくなる方法があると考え続けるクセがある」ようです。

(美術の基本「目や耳を鍛えよう(審美眼)」)
次に、「目や耳を鍛えよう(審美眼)」の方ですが、これは、美術の基本で、とにかく、いろいろな物を見たり聞いたり、体験したりします。
画家も彫刻家も、とにかく、実際の物を、よく見て観察してみない事には、何も描けませんし作れません。
他にも、美術館や、映画でも、アニメでも何でも見て、感動したシーンがあったり、ここのエフェクトや、モーションが凄いよくできてるなぁとか感動したら、どんどんマネして会得していってしまうとか、積極的に、いろいろな物事を観察して見るクセをつけておくと、アイデアが出やすくなります。
「目や耳を鍛えよう(審美眼)」の方は、「妥協しない心」が、とても大事で、自分の場合には、大学位の頃に、「CDラジカセ」を買うか?「単品コンポを買うか?」で迷って、結局、妥協するのは嫌だったので、「単品コンポ」を買ったのがよかったようで、この後から、テレビを見るのも、「赤がにじんでいないか?黒レベルが、きちんと再現されているか?」など、よ〜く観察して見るクセがついていったので、それをずっと続けていくと、とても細かいノイズなども、画質、音質などで、判別できるようになっていきますが、そういう所が、「目や耳を鍛えよう(審美眼)」という所です。
とにかく、妥協しない事が大切で、人の人生の中で、「目や耳を鍛える」事は、すぐには育たないので、人生の中で、自分の目や耳の能力を高める時間がもったいないし、美術には、とても大切なので、成人してお金を稼ぐようになったら、「できるだけ、いい画質、音質などで、本当に、いい状態の物を見たり聞いたりするようにしましょう!」
テレビも、オーディオも、1回買ってしまった後は、それをずっと見続けるし、聞き続ける事になるので、これが長年たまっていくと、「審美眼」の育つ能力が、全然変わってしまいます。
そうしないと、「人間が生まれてから、ずっと、ピンボケのような画質や音を聞いて育ってしまうのでは、人の自分の人生100年間位が、とても、もったいないです!」
アニメや映画なんかでも、画質や音質を徹底的に、こだわって綺麗にしていくと、本当に、制作者が意図していたイメージや空気の感じとかが、きちんと伝わってくるので、「本当のストーリーや雰囲気として制作者が組んでいたものが、とてもよくわかる」ので、全然、作品のイメージが変わります。
要するに、画質なんかが悪いと、「大雑把なストーリーの流れしかわからない」のですが、実際に、画質や音質を徹底的に、こだわって綺麗にしていくと、「そのシーンは、本当は、もっと空気がピンと張り詰めていた」とか、「人物の心の細かい動き、ニュアンスや、空気感などが伝わってわかる」ので、もっと、いろいろな細かいニュアンスまでわかるようになるので、そうやって、「審美眼」を育てていくと、「目や耳が鍛えられていく」ので、もっと、こだわった高い次元の事ができたり作れるようになっていくわけです。

要するに、美術の基本は、
・「いろいろな物を見たり聞いて、体験する、観察する」
・「徹底的に、妥協しない心を持つ」
といった事で、いろいろな物を見たり聞いたりして、頭の中に、「体験した物を、たくさん持っている」事が、アイデアが出てくる源になっていきます。

つまり、クリエイターや、美術家で大切な事は、「文字で覚える事ではなくて、自分自身で体験したイメージとして持っている感覚が大事」で、「体験していないと、何か、物を作っても、空気感や雰囲気が伝わらない、作れない」という状態になってしまうわけです。(要するに、実際の「”風”を感じてみないと、”風”の映像などの雰囲気やイメージは作れない」という事)
もっと、「空気感や雰囲気」をやりたい場合には、「審美眼を鍛える」方で、その為には、「常に、いい状態の物を見たり聞いたりする努力が必要」で、「妥協しては、いい物が作れない」わけです。
何か、物を作る場合には、「実際の物を見て、観察するだけでいい」ような感じもしますが、実際には、「それを映像として”表現する”には、別の感性が必要となってくるので、できるだけよい画質や音質のテレビやオーディオ環境を揃えて、実際の映画やアニメを、たくさん見て、参考になりそうな演出や感動した雰囲気のやり方などを、たくさん見て観察して覚えておく」事が、とても大切ですが、実際には、悪い画質の映像では、「そこまで読み取れない」ので、テレビやオーディオは1度買ったら、ずっと見続ける事になるので、審美眼を育てるためにも、できるだけ画質や音質には、こだわった方が、クリエイターにとってはよいという事です。

| クリエイターの思想、哲学 | 17:42 | - | - | -
クリエイターの思想、哲学について(むちゃぶりとダメ出し)

 最近、初心者クリエイターについて思う事があったので、クリエイターに関する思想や哲学なんかについて書いていきたいと思います。
まず、初心者クリエイターの場合には、「何を作ったらいいのか?わからない」、「どのようにすれば、自分の作っている作品の品質を上げられるのか?わからない」など、初心者独特の悩みが出る時期があります。
それで、クリエイターに関する思想や哲学なんかについて書いてみようと思いました。

(むちゃぶりとダメ出し)
まず、いろいろな分野で、芸術家や美術家、クリエイターやエンジニアなどが物を作っていく過程の1番最初で、とても大事な事があって、この順番を間違ってしまうと、とてもよくありません。

クリエイターが物を作っていく1番最初にくるのは、
(1) 「自分がどのように表現したいか?」、「自分のしたい表現に自由になる」、クリエイター、エンジニアをやるからには、「未来ができるだけ大きく広がるようにする」
という事です。
最近では、先に、いろいろな技術の話を知っている人も多いので、例えば、「3DCGポリゴンでは、〜という性質があるから、この表現はやめた方がいいかなぁ?(3DCGが破綻するとか)」などと、変に気をまわしてしまって、「あらかじめ、先に、自分自身の方から、自分の作りたかった自由な発想のイメージの選択肢を捨ててしまう(自分の未来を捨ててしまう)人がいます」が、これは、とてもよくない事で、クリエイターをやるからには、まず、自分自身が、「自分がどのように表現したいか?」、「自分のしたい表現に自由になる」事を、何よりも1番上に持ってきましょう!
わかりづらいので、具体的な例を書けば、日本のフィギュアなどの多くは、「何で、あえて、こんな不安定な1本足で立っていて、あざといポーズを決めているのか?」などと思う事があるほどに”自由”です。
フィギュアなんかだと、2本足で立てた方が安定するし、いいのではないか?とも思えるわけですが、そうやって、小さい妥協をするクセをつけていってしまうと、要するに、「全てのフィギュアが全部、仁王立ちでは意味もセンスもない!」という最悪の事態に陥ります。
ですから、クリエイターが物を作るにあたって、1番上に持ってくる思想は、「自分がどのように表現したいか?」、「自分のしたい表現に自由になる」事なのです。
要するに、「むちゃぶりをしろ!」という事です。
例えば、イメージボードで、シーンや仕草などを描いてみて、細かく設定なども、”自由に書き込む”(例えば、このシーンは、ギリシャ彫像風の箇所に、斜め上から、光が射し込んでいるが、光が当たった箇所から順番に、彫像が天使に変化していき、七色に輝く。とか、今回作る彫刻は、同じ1つの形のままなのに、夜と昼とでは、まったく違う姿に見える。とか、イメージボードでは、”むしろ、むちゃぶりし放題にしろ!”という事です。)
「イメージ」する前から、先に、「〜は技術的に不可能っぽいからやめた!」では、「何も作れない」し「未来を捨てている」という事になってしまい、とてもよくありません。

それで、2番目にくるのが、
(2) 「では、その自分のしたい表現を具体的に、どのような手法を使えば可能なのか?を考える」
という事です。
最近のように、先に、技術の事をいろいろと知っている場合には、この(1)と(2)の順番を逆にやってしまいがちですが、それは、妥協している事になってしまうので、とてもよくないわけで、「大幅に、自分のできる表現の幅が減ってしまいます!」ので、とてもよくありません。
昔は、美術や、芸術の分野では、「まず、木彫ならば木を知る。石像ならば石を知る。所からはじめる」といわれましたが、例えば、木ならば、木目や、割れやすい方向があったり、自然石ならば、必ず小さい亀裂や割れ目が入っているので、「そこを避けながら、いいポーズや構図になるようにおとしていく」というのが基本でしたが、それは、自然物を相手にしている場合で、現代では、フィギュアでも、ポリゴンでも、自然物とは違って、ほとんどの物は、あまり制約がなく自由な発想のまま作る事が可能ですし、できなければ、制作手法を考えて、模索すればいいだけです。
また、通常の制作手法では不可能な領域でも、いろいろとアイデアを出して考えると、きちんと解決できる手法が必ず見つかり、「その自分自身の表現したい事が妥協なく自由なまま表現可能になる手法を見つけた時は、あらたな可能性が広がって、1番楽しい瞬間」で、これが、美術家や芸術家、クリエイター、エンジニアの仕事であり、その流れなわけです。

(3) 「ダメ出し」をもらう
それで、3番目にくるのが、「ダメ出しをもらう」という事です。
初心者クリエイターが、「どのようにすれば、自分の作っている作品の品質を上げられるのか?わからない」時は、客観的に見て、多くのいろいろな人に、「ダメ出し」をもらって、多くの人の目には、どのように映っているのか?変な箇所が無いか?などを見てもらう事です。
昔の芸術家などは、この客観的意見である「ダメ出しをもらう」事は、場所などの制約のせいで、とても困難でしたが、現代では、ニコニコや、ネットなどで、気軽に発表の場があるし、コメントを書いてもらう事ができます。
積極的に、自分自身の作品の品質を高めたいと考えている人は、あらかじめ、「ダメ出しをしてほしい」などと、コメントに書いておいて、参考にする人が多いです。
ただ、「ダメ出しをもらう」という事は、「積極的に、批判、批評をしてくれ」という意味ですから、要するに、「あなたの作品のここが悪い」ばかりのコメントを読む事になるので、あらかじめ、「ダメ出し」前の心構えができていないと、けっこうへこむ瞬間ですが、「ダメ出しをもらえる事は、クリエイターにとっては、とても貴重な瞬間」なので、できるだけ糧になるようにしたいものです。
また、「ダメ出しを書いてもらえる」=「あなたの作品が気に入っているので、もっと品質を高めてほしい。その為には、意見を書いて協力をおしまないですよ」というユーザーからの意思表示なので、「へこむ」前に、貴重な客観的な意見を書いてもらっていると思うようにしましょう。
しかし、自分自身が、実際に作ってみてわかった事は、「作り終わった瞬間は、もう一杯一杯で、疲労が限界」な状態なので、ダメ出しをもらう気力が残っていない事が現実です。
しかし、「ダメ出し」というものは、全部を受け止める必要はなくて、世の中には、十人十色、人それぞれの好みもあるし、全ての人を全部満足させる事は不可能です。
できる所までは、技術の勉強をして改善していく事で、少しずつでも能力は上がっていきます。

(4) 「自分自身の個性、カラーを大事にして、自分自身が自由に表現する”自由意志”を大切にする」
それで、(4)には、再び、(1)に戻ってくるのです。
「ダメ出し」も、あまりにも大量になってきて、だんだん、「全ての人に満足がいくようにしたい」と思うようになりますが、実際の所、それは、「自分自身が自由に表現する」事とは、真逆の思想や概念にぶつかってしまうわけです。
「全ての人に満足がいくようにしたい」という事は、人は十人十色で好みも違うので、「多くの部分に枷をつけていき、自由に身動きできない錯覚に陥るし、実際に、自由に身動き取れなくなっていきます」
その最終的な論理和は、「自由さを失ってしまった、輝きも、何もない、見ていて、息苦しくなるだけの物」になってしまい、多くのクリエイターが、賞をもらえばもらう程、作品がつまらなくなっていくのは、そのせいです。
「全ての人に満足がいくようにしたい」と思って、「あれはやってはダメ、これはやってはダメ」と、人気が出るほどに、大量の人々の意見が出ますが、最終的に、そうやって、「自分自身の自由意志を切り捨てていってしまう」と、その最後に残った論理和は、「何も残っていない、つまらない棒切れのようになった自分」だけになってしまい、そうなってしまうと、何も面白くないし、何も作れなくなり、とてもよくありません。
要するに、クリエイターとして大事な事は、賞をもらうたびに、「あれはやってはダメ、これはやってはダメ」という事が増えていってしまい、最終的に、ノーベル賞学者のように、棒切れのようにつっ立っているだけになってしまう事は、とてもよくない事で、「言論の自由」だけは、きちんと常に獲得し続ける必要があります。
それで、人によっては、あえて、賞を受け取らない人もいるわけです。(活動に制約がつく事を回避する為)
要するに、クリエイターとして大事な事は、「自分自身の自由な羽は切り落とさない」、「自分が人々に伝えたい事を最後まで伝えきるための努力をする」という事で、賞をもらったら、「あれこれと制約がついてしまって、あれはやってはダメ、これはやってはダメと言われて、結果として、言論の自由を奪われてしまって、自由な自分の意思で表現できなくなってしまっては、本末転倒で、”自分自身が、何の為に、クリエイターとして物を作っているのか?”という事が、だんだん、わけがわからなくなってしまっては意味がありません。」
要するに、1番最後に帰ってくるクリエイター、芸術家、美術家、エンジニアなどの思想、哲学の部分は、1番はじめの部分の、「自分がどのように表現したいか?」、「自分のしたい表現に自由になる」という箇所なのです。
ここを忘れてしまい、見失ってしまうと、いわゆる「スランプ」という状態になってしまうわけです。
クリエイターが成長していく途中の過程では、必ず、「ダメ出し」をもらって、客観的な意見をもらう事も必要ですが、それぞれの場面で、陥りやすいミスや、スランプの原因に直面して、迷路に迷いこんだ気持ちにもなりますが、初心忘れるべからずで、「自分がどのように表現したいか?」、「自分のしたい表現に自由になる」というスタートの地点を見失わなければ、「賞はもらったが、自分自身の自由意志は奪われてしまって、棒切れのようにつっ立っているだけの自分がいて、何の為に、クリエイターをやっているのか見失ってしまった」とか、最悪な事態は避けられます。

(最終着地点)
要するに、「自分自身の自由意志」と、「他人の客観的な意見」は、ちょうど、相反する事を、同時にやっていかないといけないような行為になりがちなので、そこの調整が大変だという事です。
自分1人だけで物を作っていると、どうしても、客観的に見えなくなってきて、デッサンがくるいがちになってしまったりするので、クリエイターをやっていくには、「ダメ出し」、「他人の客観的な意見」は、必ず必要になります。
あくまでも、中心になるのは、「自分が表現したいイメージ」だけですから、そこは、思いっきり「むちゃぶり」をしておきます。
この「むちゃぶり」部分が、「自分の自由な羽で飛んだ最大の飛び幅」部分になります。
「むちゃぶり」部分は、必ず、「技術的に不可能」な箇所などで、この「最大の飛び幅」部分は、どんどん減っていきますから、できるだけ、この「最大の飛び幅」部分に近くなるだけ、ジャンプして近づける必要があります。
ここで、途中の過程で説明した箇所で、変にミスってしまうと、最悪の事態が、「賞はもらったが、自分自身の自由意志は奪われてしまった」ので、「飛び幅」が、ゼロや、マイナスになってしまって、墜落した。という状態になってしまうわけです。
ですから、「最後の着地点は、きちんと、”自分自身の自由意志”、”自分がどのように表現したいか?”、”自分のしたい表現に自由になる”という所に、きちんと帰ってきて、ゴールとなるわけです。」
「むちゃぶり」の中で、新しく実現できた技術ができれば、次からは、さらに、「自由な羽」で、もっと大きな自由度を持った事ができるようになるという感じで、いい好循環を作りだしていくという感じです。

(自然な感情を損なわないようにする)
「自分で表現したい事を自由に表現する」事から、その先は、人それぞれですが、自分の場合には、テーマがあって、それは、「自然体の体得」です。
実は、「自然体」のままを保持し続ける事は、かなり難しい事であって、大人になったり、賞を取ったりすると、「あれはやってはダメ、これもやってはダメ」という事が増えていってしまいますが、はじめは、それ位ならいいかなぁと思って、そういった流れに従っていってしまうと、それは、「自分自身の自然な感情の欠損」へとつながっていってしまうのです。
クリエイターが、「自然な感情の欠損」が起こってしまうと致命的であって、それでは、最終的には、何も作れなくなってしまいますから、この「自然体の体得」という事は常に意識しておいた方がいい課題です。
「自然体」というのは、子供の頃から、ごく自然に湧き上がってくる自然な感情のままを保持する事ですが、大人になったり、賞を取ったりすると、「あれはやってはダメ、これもやってはダメ」という事が増えていって、気がついた時には、子供の頃に持っていた自然な感情のいくつかが欠損してしまっている事に気がつきます。
クリエイターが、「自然な感情の欠損」が起こってしまうと致命的であって、それで、賞を取った人などが、その後に作るものが、つまらなくなってしまったりするわけです。
多くの人が、大人になって社会人になれば、「あれはやってはダメ、これもやってはダメ」という事が増えていって、気がつけば、「社会の歯車になっている自分がいる」とか、「子供の頃にはあった感情のいくつかが欠損してしまって、ロボットのように行動している自分がいる」事に、大人になった社会人の視聴者の方は気がついていますから、それで、「自然体を保持し続けたままの作品を見ると、何か、安心感がある。とか思って、心地いい作品となる」わけです。
例えば、思春期の男の子ならば、女の子のいろいろな事が気になって、ドキドキする感情や瞬間などがありますが、多くが、「あれはやってはダメ、これもやってはダメ」と言われて、「言論の自由を奪われた」場合には、こういった感情のいくつかが欠損していってしまうのです。
クリエイターが、「自然に沸き起こってくる自然な感情」を保持できなくなって欠損してしまうと、もう普通に作品を作れませんから、それで、法律で、「言論の自由、表現の自由」が保護されているわけなので、クリエイターならば、「自然に湧き上がってくる自然な感情を保持し続ける事ができるように、注意を払い続ける」という事が大切です。(例えば、賞をもらうのと引き換えに、言論の自由や表現の自由が奪われてしまって、いろいろな規制が入るならば、きちんと、クレームを言う勇気がある事が、クリエイターの資質です。)
ですから、クリエイターにとって、「自然体の体得」をしたり、「自然体のまま保持し続ける事」は、とても大切な命題です。
「自然体の体得」ができれば、大人になった社会人の視聴者の多くは、「社会の歯車になって、いくつかの感情を欠損してしまって、ロボットのように行動している自分がいる」事に気がついているので、「自然体を保持し続けたままの作品を見ると、何か、安心感がある」と感じて、よい作品になるわけです。

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